worksは8/24に更新しました.

栓をゆるめて

中学から高校まで陸上部で、
ほとんど毎日走りながら
よくこんなことを思っていました。

「毎日走ってようやく
体力がキープできるのに、
走っていない人たちって
よく平気でいられるよなあ」と。
すこし揶揄をこめて。

当時のそのつぶやきが、
いまになって自分自身につきささって
くるのですが…
もう、とにかく運動していなくて。

部屋でじっとしている時間が
長いので、
その蓄積が見えないなにかとなって
どよどよと体にまとわりついてくる感じ。

ときほぐそうとして、
ストレッチや散歩を
取り入れてみているものの、
ぬぐい切れない感覚が残るんですよね。

そんなとき
「声出してる?」と
ヨガのトレーナーをしている
家族からいわれて。
あ、声ね!と、気が付きました。

たしかに、しゃべってない。

かつて実家にいたころは
割と音が漏れない家だったので、
よく大声で歌ったり、ひとりごとを
大音量で発していたよなあ、と思い出し。

うれしいときや怒ったときに
狂ったように発散する子どものような、
そういう感覚、忘れていたのかも…
という思いが頭をもたげてきました。

いまや隣人に気をつかって
歌ったりせず、
「身内にしか聞かれてはいけない変な声」
とかも、出さないように暮らすことが
普通になっていて。

まるで自分自身に
ぎゅっと
栓をしていたような。

全然話が飛ぶのですけど。

最近、「本日の絵 皆川明挿画集」を
眺めているんですが、
絵の描き方が、それこそ「栓をゆるめて」
描いているように感じるんです。

まったくの白紙を前にして、
自由に描いていいよ、と言われたら、
ぼくはまず頭で考えはじめちゃいそう。

いきなり手を動かしてみる
ということが恐ろしくてできない。

似顔絵を描いていてよく感じるのも
そういうところで、
しっかり描けば描くほど、
栓をかたく締めてしまっている
という気がしてくるんですよね。

完全にすっぽんと抜いてしまうと、
それはそれでバランスが崩れるので、
いつもの7パーセントくらい、
抑制の栓をゆるめるイメージで
絵を描いてみよう。

あ、
あと、声もね。

いまはそんな気分。

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