worksは8/24に更新しました.

生きていくのに必要な…?

「素朴な疑問なんだけどさ、」と
たまに誰かが言っているのを聞く。
 
自分もそれとなく言ったりするんだけど、
「素朴な」ってどういう意味で
言ってるんだろう…、
と自分でも振り返ってみると、
傷つける気持ちも、悪気もないんだけど、
というワンクッションのつもりで
言ってるんだな、と思い当たった。
 
今回も、そういうつもりで言うけれど、
素朴な疑問がある。
 

 
美術大学へ通ったり、アートやデザインや、
そういうところにいる人たちって、
なにかと「自分たちのやっているのは
生きていくのに必ずしも必要なことではない。
なくても生きていけるじゃないですか…」
と言う。
聞いている人もそれをもっともだ、
という顔でうなずいてしまう。
 
けれど、それを聞くたびに、
なんとなーく「素朴な疑問」らしきものが
頭をもたげてくる。
 
もし、生きていくのにアートや娯楽が
必要ないのだとしたら
なぜ、いま、こんなにもゲーム、映画
本、音楽がこんなにも豊富なんだろう?
と思う。
 
なぜ大昔から、人は想像をふくらませて
ありとあらゆるものを創って、今なお
受け継がれているんだろう?
とも思う。
 

 
逆に考えてみると、
生きていくのに必要なのは、
例えば、食べること、
あと水電気などのインフラ。
とか?
(突き詰めれば、電気も
なくても生きていける。
かなり困るけど。)
 
「食べる」に関していえば、
食べることは、生きるのに必要だから、
自分たちのやっていることは
社会的に問題ない。
という認識があるだろうか?
ないだろうか?
 
人気が廃れて、つぶれていく
町の大衆食堂は、食べるという意味で
「生きていくのに必要」なんだから
続いていくべきなのに、
どうしてそうではないんだろう。
 
水道は各都道府県の管理だけど、
電気は、いろんな会社がしのぎを削っている。
電気はみんなのためになるからといって、
今、あたらしく電気の会社を作っても、
入り込む余地はそうそうないだろう。
 
生きていくのに、必要なら、
沢山あったっていいじゃないか?
でも、どうしてそうもうまく
いかないことがあるんだろう?
 

 
生きていくのに、必要か、そうでないか、
は、表現活動するうえで、
まったく関係ない、とぼくは思う。
 
むしろ、ぼくにとっては、
なくてはならなかったよ、と言って歩きたい。
音楽やマンガや、本があったから、
前向きに生きてこれた。
心を動かすものを創るひとのことは
友人であっても、遠い昔の人であっても、
誰でも尊敬したくなる。
 

 
「生きていくのに必要ない」という前提に、
無人島で暮らすのに…みたいなイメージがあるが、
ここは無人島ではない。
 
適切な言い方に直すと、
「生きていくのに必要か」のところを
「お金を払うべき価値があるか」と考えるいい。
 
「自分たちのやっていることって、
お金を払う価値がないじゃない?」
 
と言っている。
と思えば、納得するけど。
それでも、「あれよ!」とツッコミを
入れたくなる。

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