最近の予想
絵本がこどもの知育にいい、
というのは、なにもここ数十年から
始まったことではなくて、
200年以上昔から、
単に面白いとか、怖いとか、
お説教とか、だけでなく
こどもが大人になるための
勉強として存在していた歴史が
あったらしい。
かつて子供時代は、半人前の時代だと、
あるいは子供を大人予備軍と
捉える時代があった。らしい。
イザベラ・バードが書いた
江戸の名残が濃い明治初期の
日本の子供の様子を読んでも、
早い段階から子供は大人と同じような
精神を持っていたような感じがある。
広い意味での教育が、
「大人になるための意味」を
持っていた。
*
ちょっと前(70年代くらい?)から、
そうではなく、子供は、子供にしか
持てない感性や、アイデアがあって
もっと尊重するべし、
理屈や論理だけが感性ではない、
という風潮になっていたが、
最近また変わって来たような気もする。
要するに、再び理屈や論理が
頭をもたげてきたような気がする。
とにかく、何がなんだか、
よくわからない、漠然とした不安。
一人ひとりに考えを求められる
時代の雰囲気になってきたが、
だからこそ、ぱっぱらぱーで
油断しきった自分自身が
信じられなくなる。
本当に自分はこれでいいのか?
確かなものはいったいなんだ?
という、答えなどありっこないものへ
答えを探す迷宮に入ってしまう。
そこへ、「君たちはどう生きるか」を
読んでみたくなったり、
年明けのCMで
「いいじゃないですか〜」が
流れたりして。
言葉や意味ではないものを、
なーんか、信じがたい。
言葉にならないと、
あるような気がしない。
うまく説明できないけど、
そんな感じ。
*
だからこそ、
これには
「こんな効果がある」
「こんな意味がある」
という存在に、魅力を感じるのでは。
そこで、ことばサーカスとか、
こんな顔してあいうえおは
一見ファンタジーや、
空想の遊びに見えて、
「言葉の性質を体験する側面」も
持たせる方へ舵をとることになった。
つまり、ことばあそびが、
現実の日常生活まで落とし込んでも
再現可能な遊びになっているということ。
で、あってほしいというつもり。
もっと簡単に言うと、
実用性があるものとして
展開したい。
それが、なるべく表面的で、
伝統を騙った類似品にならぬよう、
ことばがもっている、未開発な性質に
着目したいと思う。
そういう意味では
もうちょっと言葉について
疑問に思う興味がある。
*
スーパーでキャベツを買うとき、
どれも同じ値段だけど、
ちょっと黒ずんだものがあれば、
丸っこいもの、ちょっと縦長なもの、
微妙な大きさの違いもある。
いや、どれも同じ値段だからこそ、
このキャベツではなく、より形のいい
そのキャベツにしたい、と思う。
しかし言葉にすれば「キャベツ」として、
全く同じものとしてくくられる。
でも、実際のものは、一つ一つ違う。
文字も一緒。
手描きの文字、下手な文字
上手な文字、
いろんなフォントの文字が
あるのに、
全部おなじ字として読み取っている。
ことばにすることは全部、
同じ物になるようにむかってる。
‥というような、
ことばの持ってる「同じ性」について。
他にも
ひらがなが記号、漢字が具象
についてなど、
最近の興味を次回以降に書く予定。
2018/09/16