worksは8/24に更新しました.

フィクション仕立て

「すぎる」という表現がある。
これがおもしろい。
 
たのしすぎる、かなしすぎる、
かわいすぎる、なぞすぎる。
 
使い方としては、
気分のメーターを強めにした状態のことで
good>better>best
のように、
たのしい>とてもたのしい>たのしすぎる
という最上級の表現といった意味合いか。
 

 
だけど、冷静になって
これを考えてみると、
「すぎる」っていうのは要するに、
電車に乗っていて、降りるべき駅を
通りすぎるみたいなもので、
本来は、違うところに来てしまったんだから
「もどらなきゃ」ってなるもんだろう、
とぼくは思う。
 
どういうことかというと、
たとえば「かわいすぎる」っていうのを
字の意味の通りに解釈すると、
こうなる。
 
猫がかわいいってのは、
目がくりっとしていて大きいからで、
あとは、
毛がふわふわしているからである。
 
これが「すぎる」と
目がいやにデカくて、ぎょろりんとなる。
毛もふわふわどころではなくて、
もわっもわして
どこが顔だか、お尻だかわからない。
 
「お顔はこっちかな」とか言って
毛をめくると、お尻だったり
あるいは、ぎょろりとした巨大な目が
こちらを覗いたりする。
 
これは気持ち悪い。
「かわいすぎる」っていうのは
逆に気持ち悪いんじゃないの、と
ちょっといじわるな気分で思う。
 

 
でも実際に使っている感じだと、
「かわいすぎる」も
「かわいい」の範囲内で言っている。
 
じゃあ何が「すぎて」いるのか、と
改めて考えると、
自分の脳内イメージが、
目の前にあるものを過ぎているだんろう
と思った。
 
言っているその人の中では、
見たままの、かわいい、やばい、じゃ
ないんだろうな。
気持ちの方がぐっと上回ってしまう。
 
それに「すぎる」とつけると、
なんとなく、コミカルな表現になる。
フィクション染みたものになる。
 
目の前に見えてるもの以上に、
デコデコ盛って
もはやありえないものとして
感じたい気分ではなかろうか。
 
そういう意味では
おばけとか妖怪なんかも
「すぎる」の中の表現という気がする。

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