フィクション仕立て
「すぎる」という表現がある。
これがおもしろい。
たのしすぎる、かなしすぎる、
かわいすぎる、なぞすぎる。
使い方としては、
気分のメーターを強めにした状態のことで
good>better>best
のように、
たのしい>とてもたのしい>たのしすぎる
という最上級の表現といった意味合いか。
*
だけど、冷静になって
これを考えてみると、
「すぎる」っていうのは要するに、
電車に乗っていて、降りるべき駅を
通りすぎるみたいなもので、
本来は、違うところに来てしまったんだから
「もどらなきゃ」ってなるもんだろう、
とぼくは思う。
どういうことかというと、
たとえば「かわいすぎる」っていうのを
字の意味の通りに解釈すると、
こうなる。
猫がかわいいってのは、
目がくりっとしていて大きいからで、
あとは、
毛がふわふわしているからである。
これが「すぎる」と
目がいやにデカくて、ぎょろりんとなる。
毛もふわふわどころではなくて、
もわっもわして
どこが顔だか、お尻だかわからない。
「お顔はこっちかな」とか言って
毛をめくると、お尻だったり
あるいは、ぎょろりとした巨大な目が
こちらを覗いたりする。
これは気持ち悪い。
「かわいすぎる」っていうのは
逆に気持ち悪いんじゃないの、と
ちょっといじわるな気分で思う。
*
でも実際に使っている感じだと、
「かわいすぎる」も
「かわいい」の範囲内で言っている。
じゃあ何が「すぎて」いるのか、と
改めて考えると、
自分の脳内イメージが、
目の前にあるものを過ぎているだんろう
と思った。
言っているその人の中では、
見たままの、かわいい、やばい、じゃ
ないんだろうな。
気持ちの方がぐっと上回ってしまう。
それに「すぎる」とつけると、
なんとなく、コミカルな表現になる。
フィクション染みたものになる。
目の前に見えてるもの以上に、
デコデコ盛って
もはやありえないものとして
感じたい気分ではなかろうか。
そういう意味では
おばけとか妖怪なんかも
「すぎる」の中の表現という気がする。
2017/06/11