worksは8/24に更新しました.

自分への手紙として

「誰にも読まれなくてもいい作文」
という題で、こっそり書いてみるってのは、
どうだろう。
 
「だれかに見せるために、
見せたいがために、
あるいは、見せざるをえないもの、
仕方のないもの。」
 
こういうものは、言われなくても
たくさん書かれているし、SNSなどを通じて
だしっぱなしの水道のように流れていく。
 
ところが、誰にも読まれなくてもよい、
(そして、実際に読ませない)
というつもりになると、
どのくらいの人が書いているのだろう。
 
きっと、恥ずかしい内容になるだろうから
書くのはよそう、というのが本音じゃないか。
万が一、だれかに見られたらどうする。
 
それにしても、どうしてだろう。
本当の自分というものを意識すると、
どうしても恥ずかしいものになってしまう。
だから、すぐフタをしてしまいたくなる。
 
SNSが水道水っていうのも、
なんというか、消毒済みのカルキの匂い
っていうイメージがする。
 
田舎者が東京の人をみて、
「かっこつけてんなよ」
と、思うように、ぼくもたまにそう思う。
 
みんなどこかで、守りに入ってんなあ。
 

 
誰にも読ませるつもりの無い
恥ずかしい作文を、
かつてぼくは書いていた。
 
高校生から8年間くらい日記のようなものを
ほとんど毎日書いていた。
今は書いていない。面倒くさがって。
本当は書きたい。今はここの作文に
変わってしまったので、毎日でないし
「誰にも見せない」という意味でも
純粋ではない。
 
ふとした拍子で、読み返してみた。
2004年から2006年までは、縦書きのノートに。
2007年から2012年はpcのメモパッドに。
 
それが案外おもしろい。
今じぶんが、何を考えているのか、
どう感じているのか、
という現在地をずっと追って書いている。
 
書かなくなった今、
自分のことがぼんやりとして、
よく分からなくなりそうだ。
 
かつて書いていたことが、
今になって、とても大切なことだったのだ、
と思えるようになった。
 
ここでの作文も、もう少し、
だれも読んでいないふりをして
書いてみよう。原点回帰ですな。

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