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猫の鳴き声の意味

もしも「一種類しか発音できない」
という状況になったら、どうしよう。
 
なんだその状況って、って思うかもだけど、
仮に、「あ」しか言えないとする。
 
そうなると、高度な内容は語れない。
声をかけるとか、なにかを指し示す、
くらいならできそうだけど、
そんなに多くは伝えられなさそう。
 
ただ抑揚を使えば大分表現できるんじゃないか。
驚いたとき、感心したとき、悲しいとき、
感情は言葉がなくても伝わりそうだ。
 
うーむ、よし感情の表現はできたとして、
でもやっぱり「意味を伝える」のは
難しいだろう。
 
と考えたところで、ふと反論を思い付く。
伝わるかどうかの問題は、その場の状況も
影響するんじゃないか。
 

 
ひとつ例をあげてみる。
日常的な「単発音になる状況」、
…それは車のクラクション。
 
クラクションは注意を促すのに
使われるというイメージがあるが、
道を譲ってもらえたときに軽くならすと
「ありがとう」という伝わり方をする。
 
他にも「お先にどうぞ」だったり、
「信号青になってんじゃねえか」とか
「迎えにきたよ」という合図だったり。
「ぷ」だけでも実にいろんな意味として
伝わる。時と場合によって。
 

 
だけどちょっと物足りない。
というのは、車のクラクションは
公共のものであって、
個人的な自己表現ではない。
 
なんだかよくわかんねえけど、
こんなふうに鳴らしてみてえ気持ちなんだ、
「ぷーぷっぷぷっぷ」…
なんてのは、まずありえないでしょう。
 
日常生活でも親しい友人や恋人、
あるいはひとりでいる時なんてのは、
無意味な発言をついしてしまうもの。
 
「むおー」とか「にゃん」とか「ぎゃひー」とか
言わない?言うでしょう。ぼくは言う。
 
そういう、なんだか知らねえけど、
そう言ってみたい気がしたから
言ってみたんだ、みたいなことってある。
 

 
最終的に、この話がどこに着地するか
というと、猫のこと。
 
猫が鳴く時って、「ドアあけて」とか
「めし」とか「あそんで」とか、
「やめろ」とか「離してくれ」とか
大抵の場合はよくわかる。
 
だけど、なんとはなしに、「にゃー」なんて
言いながらふわふわしている様をみて、
ぼくはときどき
「猫が言葉をしゃべれたら、いま
何て言ってるんだろう」と思う時がある。
 
しかし、その疑問はナンセンス!
 
ただ鳴いてみた、叫んでみた、呼んでみた、
意味として翻訳できる前の、
「なんかそんな気がしてね」
という生き物特有のノイズ的な感覚で
鳴いているんだ、とぼくは解釈する。
 
言葉で喋り慣れると、ときどき、
なにもかもが「言葉である」と
思ってしまう。
 
「ちゃんと伝えるには言葉でないと」
とか、
「すべてが言葉で解釈ができる」
とか、平気で思えてしまう。
 
もしかしたら、
そんなことはないのかも。

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