worksは8/24に更新しました.

公の空気感

よくある話で、
夜中に書いた手紙やポエムは、
時間が経って冷静になってみると
目も当てられないくらい恥ずかしい
というのがある。
 
自分もよくあるんだけど、
でも、それは夜中だけの
出来事じゃなくて、
ふだんメールするときもある。
 
「いけてるんじゃないか」と
思う文章ができても、
送信ボタンを押した瞬間に
あれ、誤字してる!
とか、
この言い回し、間違えた!
とハッとして冷や汗をかく。
 
冷静になるのは、いつも
手遅れになってから。。
 
それってなんなんだ。
と考えてみたときに、
ふと、司馬遼太郎のことを
思い出した。
 
なんの本だったか、NHKだったかな?
忘れたけど、
「昔から日本人が働き者なのは、
公にさらされて、
いつでも緊張しているから」
というようなことを言っていた。
 
日本人は常に、誰かの目に触れている
という自覚と責任感を負っている。
らしい。
 
それはすごいなあと思う。
ぼくの場合は、メールの送信ボタンを
押さないと公の気分になれない。
 
人の目に触れたときの
「それまで脳内にかかっていた
ウスノロな靄が晴れる」という感覚は
大切だなとは思うけど、
「常に公」というところに
見仰いでしまう。
 
あ、でも思えば、日本って
財布を落としても戻ってくる
っていう世界観があるし、
ニュースとかフェイスブックとか
みると、過敏と思うくらい
モラルを守ろうとする
風潮はやっぱりある気がする。
 
つまり、
自分ひとりだけの判断と、
周りの人の目を背負った判断とでは
後者が選ばれがち。
 
それも現在の日本人も
公を背負っている
と言っていいのか‥?
 

 
ちょっとよくわからないけど、
自分も絵に関しては、
常に公の気分で描いていたい。
 
最近は来年に出す予定の
絵本の絵のトーンをつかむべく
絵の描き方を試して描いているんだけど、
これは一人だけで「いい」と合点しても
しかたない。
 
だから描いたらInstagramに
載せてるんだけど
更新すると、
すーっと血の気が引く思いになる。
 
あれだけちゃんと描いたつもりなのに
ぜんぜんだめじゃん!みたいな、
‥自暴自棄になりたい気分になる。
 
描いては作戦を練り直して…
次はこうしよう、ああしようと
苦し紛れに考える。
 
…と、いうように
そういう向上心が生まれるので、
失敗を恐れずどんどん
載せていこうっと。

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