worksは8/24に更新しました.

魔法の物理

小学校のころ、機械を作りたい、
と漠然と考えていた。
 
機械ってなんだろう。
どうやったら作れるんだろうと
首をかしげながら、クリップや磁石、
テープやネジなどが雑多に入っている
引き出しをひっぱりだす。
 
それらを手の上にのせて、
ぺたぺたし、がちがちして
無用のがらくたを生産していた。
 
機械とは、なんだか訳の分からない
とにかく複雑なもの、というイメージが
あった。
 

 
数ヶ月前に吉祥寺の古本屋で
「てこと滑車とエンジン」という
アメリカの本をみつけるまで、
その概念は覆されることはなかった。
 
カフェに入ってさっそく
読みはじめたけれど、
「機械は複雑のことである」という考えは
2回ページをめくったところで、
軽々と打ち砕かれてしまった。
 
いきなり「てこの原理」は機械である、
なんてことをいうのだから。
 
この本を大雑把に要約すると、
現実の世界にある物理的な作用を
効率よく利用する仕組みのことを
機械と呼ぶのだそうだ。
 
力点、支点、荷重点、この3点の原理を
知っているだけで、重いものも簡単に
持ち上げることができる機械となる…
 

 
母親がかぼちゃのクリームスープを
作っている時のはなし。
 
ぐつぐつ煮たスープにふたをして、
そのまま時間をおいて冷ましていた。
 
このスープが大好物な5才のぼくは
こっそり味見をしようと思うけれど、
開かないことに気がつく。
無理矢理にこじ開けようとするけれど、
ぜったいに開かない。
母親の呪いだと思った。
 
目に涙をためながら、
「スープもう食べられないの」と
訴えると、時計をみて、6時になったら
食べましょう。という。
 
ぼくはこれに応じるしかない。
鍋には母親の呪いがかかっていて
ぜったいに開かないのだから。
 
時間になると、ぼくは台所に呼ばれる。
「きみきみ、もういちどこれを
火にかけてみたまえ」という。
 
言われるがままにすると、
なんと軽々と開くではないか!
 
うれしくて、ほんとうにこれが
魔法だと思った。
 
後にこれが、熱と
空気の体積との関係にタネがあることを
理科の時間で知ることとなる。
 
この感動が、
「てこと滑車とエンジン」の本を読んで
蘇ってきたようであった。
 
物理こそ現実に属するものだけど、
人知を越えた魅力的なファンタジーである、
と一方で思ってしまうのです。
 

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