worksは8/24に更新しました.

五感不在だった生活

近頃は、何かと、ふと思うんだけど、
先週ふと思ったのは、
足って洗わないよなー、と。
 
足って意識して洗ってるんだろうか
みんなにアンケートしてみたい。
 
と、いうのもですね、
足を洗っていないっていうのは、
つまり、
日頃から、足がある、という意識が
ないことを示しているんじゃないか。
 
たとえば、目の見えない人と見える人の
足への意識力を比較したら、
見えている人はほとんど、足に注視して
いないのではないかと思う。
 
少なくとも自分がそう。
 
夕方のあまり人通りのない道を
目を閉じて歩いてみたら、
平坦だとおもっていたアスファルトなのに
微妙に歪んでいたり、段差があったりするのに
気が付く。
 
足の感覚にすがる、
それから、耳を澄まして空間感を
とらえようとしてみると、
いつもは空間把握を、目だけで
「代用」していたのだ
ということに気が付く。
 
耳も、足もおざなりにしていた。
ごめん。
 

 
街を歩いていても
ぼくは、割と人の目を気にしてしまう
タイプなので、
基本見られるのも、見られているかも
と思うだけでも嫌。
 
そんなぼくには、目ではなくて、
(目で見つつも)耳や、足で
主に空間をとらえようとすると
(架空の?)視線から解放されて楽になれる。
 

 
いったん話は変わるけれど、
 
VRがすごい。と言われて
しばらく経つけれど、未だに
体験したことがない。
 
ものすごく興味があるんだけど、
でも、よくよく考えてみると、
ぼくたちは常に3Dにいるんだよな?
と思う。
 
なのに、なんでVRがすごいの?
と冷静になると思う。
 
答えは簡単で、日頃から目で見る世界で
大体が済んでしまうから。
 
目で世界はあきらかに2D。
 
とある本を読むと、
目の見えない人は、頭の中に3Dの地図を
描いて、そのどこに自分がいるかを
とらえているそうな。
 
要するに視点がない。
 
視点があると、ただ坂道があるとしか
見えないところを、
目の見えない人は、
この坂道はこういう山のこの部分、
という認識を描こうとする。
 
だから、目で見ている2Dの世界に
慣れているぼくらには、
VRが物珍しく感じるのだと思う。
 

 
五月になって、今がいちばん、
緑色があざやかで、風も
音をたてて木を揺らしている。
それから小さい羽虫がどこからともなく
あらわれる。
 
目で見ても良いけれど、
半分目を閉じるようにして、
耳で空間をあじわおうとすると、
ちょっと感動する。
 
実は細部まで音が聞こえてきている。
無意識に目で見ていると、
その音は、ないことになっていた。
 
あー、立体の世界にいるなと思う。
 
目で見ている割合の幾分かを
かわりに足や耳に傾けてみる。
 
おかげで、ここ一週間、
足をしっかり洗っている。
 
足の話も聞くことにする。

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