worksは8/24に更新しました.

もしも紙の本が〜その3

スマホなどの携帯タブレットで
「観たり読んだり」することが激増し、
その煽りで紙の本がなくなったら…
という仮定のもと、
あらためて紙にしかできないことを、
考えてみよう、という作文です。
 

 
前回のつづき…
紙とタブレットを比べる時、
コンテンツの利便性から考えると、
地図」のように、
紙の必然性って及ばなくなる。
 
他にも、
ポストイット的なものとか、
ビブリオマンシー的なものとか
紙の「都合の良さ」とか、
「一見、ならでは感」は、
電子的に代用されていく運命が
待っている。とすることにしよう。
 
ようするに、
もっと、モノとして代用の効かない
紙の見せ方に着目してみたい。
 
雨の日191
 
大雑把には2つ。
 
1、空間的な記述ができる。
図面って3次元を2次元に置き換えて
説明しているものだけど、
そもそも紙は3次元のモノなので
実は空間をダイレクトに利用した
記述ができる。
縦横、高さまで取り入れられる。
 
加えて、
2次元と3次元を行き来する変化も
かなりユニークな性質を持っている。
(具体的な例はぼくが作品として
今後作るので秘密。)
 
2、招かざるものの利用。
これはですね、普段ぼくらが
不快におもう紙の性質を逆手にとる、
というもの。
本の角がことごとく折れてたり、
折れたところに印刷しちゃって、
重なったところに変な空白が
できちゃうミスとか、水に濡れて
しわしわが戻らなくなるとか。
 
紙の利用するべき点って代用が効くけど、
デメリットこそ、そのものの根本的に
オリジナルな(代用の効かない)性質
なのだとおもう。
 
デメリットこそ紙のホームタウン。
という考え方。
 

 
しかし、これが下手をすると、
結局、美術品や工芸品というジャンルに
おいこまれる可能性もある。
 
それって紙を忘れてはいけない、
という一部の人たちが辿り着いた
防御策、というかんじが
なんとなく情けない。
 
というわけで、矛盾するようだけど、
あまりに紙に執着しても意味がない。
そこに似合うコンテンツを同時に
描いていないといけない。
 
そのフォーマットを必然とする
コンテンツがあたらしい面白さを
生み出すと思う。
 

 
…タブレットがつめたい未来悪で、
紙が人間味ある正義みたいな構図で
捉えられるかもしれないけど、
そんなものは全然関係なくて、
紙の本がいい、というのは
単純にぼくたちの方が新しい友人に
人見知りをしているみたいなこと。
 
それぞれで、面白い事ができて、
できるだけたくさんの人と共有できたら
うれしいと願う。
 
次回はことばあそびについて。

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