なんにもない、などない
「なんか面白いことを書けたらな」
と思っていると、
周りを見渡してみても
なかなか特別な出来事と
出会うことがないような気がしてくる。
埼玉に住んでいた時なんか、
入間川沿いを自転車で走りながら
晴天の空をみて、
「あーなんにもないなあ」
と思ったりする。
*
そんなとき、
「風はなぜ吹くのか、
どこからやってくるのか」
杉本憲彦著(べレ出版)
を読んだら
なんにもなかったはずの
上空にも、想像が及んでくる。
そもそも、空は空気に満ちていて、
その空気は暖かさによって
膨らんだり、しぼんだりして
それで風が起こる。
オゾン層のずっと上、
オーロラが起こるほどの上空には
太陽からの磁気の光線が射して
白く輝く夜光雲がちらちら光る。
「熱圏界面」と呼ばれる
人工衛星が回るくらいの上空には
時に温度が2000℃もあるんだって。
(とはいえ、真空に近い状態なので、
どのように暑さを感じるのかは謎)
もっというと、
熱を帯びる=赤外線発している
ということは、
ヘビや蚊になってみると、
ぼくら人間も夜光雲のように
「光って」見える。
冴えない感じのときでも、
実は光っている。
と思うと、ちょっと励まされたような
気分になれたり。
*
「塵よりよみがえり」
レイ・ブラッドベリ(河出文庫)
怪物一族の話。
魔女の女の子のセシ―は、
いつも棺の中で横たわっているんだけど
眠りながらにして、
心を自由に移動することができる。
それこそ、
秋風になり、
クローバーの吐息として
さわやかに飛び、
鳩に宿って空を翔け、
葉に宿って生き、
蛙や、澄んだ湧水に宿る。
毛むくじゃらの犬に、
宿れば駆け回り、
大声で吠えては、
遠い納屋の壁から
返ってくるこだまに耳を
かたむける。
たったいま、この瞬間でさえ、
こんなにも心を宿すものが「ある」。
満ちている。
この本について、ぼくは
ほとんどセシ―のくだりだけが
好きなんだけど、
瞬間ごとの、濃い息遣いが
ものすごく耳元で聞こえた、
という感じがしてドキドキする。
*
「夜、空をとぶ」
作ランダル・ジャレル
絵センダック
長田弘訳(みすず書房)
これもセシーの話と似ていて、
デイヴィットという男の子が
寝ているときに、空を飛ぶ能力が
備わってしまうという話。
深夜の誰しもが寝ている、
その間にも、いろんな
生き物がうごめいているのを
見つける。
人間とは違った、動物ごとの生活や、
物語があるんだなーと思う。
そんなこと、普段考えもしないし、
無いと思っていたのだけど、
だからこそ、目の前に現れると
魅力的に見える。
*
どんな時間にも、どの場所にも
こんなにも、あるじゃないか。
「ない」と思い込んで
見ていなかったんだろう、と
反省するような気持ちで思う。
穴あきの「補集合の本」を改め
「くうきのほん」
みたいな名前で、つくりたい。
と妄想中。
科学の知識を「分からせる」というより、
「ある」という事実を、
心地よく肯定的に
「感じさせる」ものを作れたらいいな。
2020/02/04