worksは8/24に更新しました.

「知られちゃまずい」ことを書く面白さ。

ぼくには、
自分一人しか知らない時間が
よくある。
もしかしたら、
他の人よりも多いかもしれないな。

学校に行ったり、
会社に通っている人は
あまり意識しないかもしれないけれど、

(ちょっとカッコつけていうと)
「この世界中の誰しもが、
今ここで、
ぼくがこうしている
ことなんて、
知らないだろうな」

と、刻んだネギを床に
全部ばらまいて
掃除しながら思う。
みたいな時間って、
考えてみると面白い。

ふつう自分一人しか
知らない時間といえば、
トイレか、お風呂か、
自分の部屋の布団にいるときだけど…、

自分一人しかいないんだから、
なにをしようが自由。
止めるものは何もない。
ぼくの場合は、他にもある。

クローゼットに、
体ひとつ入れるスペースを作り、
コートとコートの間に
体中をうずめ、扉を閉め、
ちょっとした
ひとときを過ごすこともある。

それが、ものすごく天気が良く、
たとえ平日の午前11時であったりしても
構わない。する時はする。

お風呂に読み切れない量の本を
持っていき、
(結局読むのは1冊だけなのだが)
出る時に読まなかった数冊の方が、
湿気でふにゃふにゃになるか、
水浸しで、でろでろになる
あの「ちくしょう!」という気持ちも
自分ひとりだけのもの。

(他にも、ここではとうてい
書けないことだってあるし!)

どれもみんな、
ここで書かなければ無かったことで
忘れちゃう。
だけど、それが本来の自分だったりする。

だれともつながっていない、
なんの事件も起きず、
淡々と時間がすぎていく
なんだかよくわかんない時間。

(ふつう、そんな時間ないよ。
きみって暇なんだね、
という天からの声が聞こえる)

こういう時間を、他の人は、
どれくらい「ある」と認識していて、
どのくらい大事にしているんだろう?

TwitterやFacebookとかをしていると、
(他人の目に、自分が触れると思うと)
どうも、自分を2倍も3倍も
良く見せたくなりがち。

例えると、
田舎のことを話す時
「あそこはなにもないところだよ」
というかのように、
一人だけのあやふやな時間について
ひとまず無いことにして、
刺激のある都会の
話題ばかりなんじゃないか。

勉強しようと思って本を読んでいたら、
いつのまにか昼寝していたとか、
ノートを買いにわざわざ2駅先まで
歩いて行った道中に迷子になるとか、
なんかへんな匂いがする、と思って、
部屋を探索するとか。

無駄に費やす時間、
他人に知られたら馬鹿にされそうに
思えるような時間とか、

なんにもない、と
思い込んでいる時間にも、
本当は濃厚な何かが潜んでいる
ような気がしている。

というか、その連続が生活だし。

「それがなければ生きていけないもの。
それなのに、あまり、「文章」に
されることのないものがある。」

「いったい、それは、なんだろう。」

「「私」や「友情」や「家族」や
「社会」や「夢」は、繰り返し書かれる
テーマなのだ。」
(高橋源一郎著
「間違いだらけの文章教室」より引用)

ついうっかり
頻繁に文章にされているテーマばかり
書いちゃう。

一人しか知りえない日常時間を
どう意識しているかって、
結構大事だと思ってみると
おもしろいんだよなあ。

他の人の知られざる恥ずかしい
日常って、ちょっと興味あるし。

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