前と後ろが逆なだけ
本屋で物色しているとき、
「この本のここらへんのページだけ
興味があってじっくり読みたいんだけど
その他のページにはあまり関心がない」
ということがあって、
結局買わずに家に帰ってしまった。
その後、どうしてもその本が気になり
図書館の蔵書検索をすると、
少し離れた分館に蔵書があった!
早速借りて、図書館と、
その本の存在を教えてくれた本屋さんに
感謝の意を込め、少し上を見上げ、
目を閉じたあと、
自転車に乗って帰宅した。
*
その本とは、
「朝永振一郎 見える光、見えない光」
(平凡社)
読みたかった箇所以外でも、
面白い話題があった。
それは「鏡が左右に反転するのに、
なぜ上下に反転しないのか」
という話。
個人的に、この問題には、
なじみがあって、そういえば、って
思い出して、本棚から数冊を並べてみた。
*
「さかさまさかさ」(たくさんのふしぎ)
「科学考えもしなかった
41のそぼくな疑問」(講談社ブルーバックス)
「ファインマンさんは超天才」(岩波現代文庫)
これには、どれも、
「鏡は左右反転するのに、
なぜ上下には反転しないのか」問題が
言及されている。
*
「さかさまさかさ」では、
こんな答え。
「鏡のなかのきみとほんもののきみとは
向きがちょうどさかさまになります。
だから、きみから見た左右と、鏡の中のきみから
見た左右は、さかさまになるのです。
上下は、誰が見てもかわらないから、
鏡にうつしてもかわりません。」
よーく吟味すると、なるほど、と思うけど、
なんかはぐらかされたような気もするな。
*
「科学考えもしなかった
41のそぼくな疑問」では、
「左右が本当に逆になっているのでしょうか。
~中略~
左手は、向かって左の方に、
右手は右の方に正しく映っているのです。
ですから本当は、何も不思議なことは
起きていないのです。
それなのに私たちは「鏡は左右逆」と
感じてしまいます。」
そもそも、鏡の中の自分は、
現実の自分と同じ実体が
向かい合っているのではない、と。
右手には、右手が映っているじゃないかと。
そうか、左右反転っていうのは、
思い込みなのか…?
ピンと来そうで、来ない。
*
「朝永振一郎 見える光、見えない光」
では、さまざまな怪しい仮説を
たくさん記載したまとめとして、
「右と左とが逆になっているとか、
上と下とが逆になっているとか、
あるいは前とうしろとが逆になっているとか
そういう判断は、鏡のうしろに
実さいにまわって立った自分の姿を
想定して、それとの比較の上での
話であろう。
~中略~
鏡というものは自分の前すがたを見る
目的で作られたものだから、
鏡の向こうがわでは当然自分は
こちらを向いているものだとの
前提が暗黙の裡に認められていることも
あるのだろう。」
こちらもぱっとしない回答だけど、
鏡に映った姿は、虚像であって、
向かい合った実際の自分ではない、
反転しているように「感じる」のは
心理的なものだということか。
*
「ファインマンさんは超天才」では、
僕はこの問題はあっさり解いたよ。
というハードル上げる一文から始まる。
「「東」側の手は、「東」側にあり、
「西」側の手は、「西」側。
上の頭は上、下にあった足は下で、
すべてはちゃんとしている。
ただ、一つだけ不都合なことは、
もし君が「北」に向いているとすると、
君の鼻は頭から北向きに突き出ている
ことになるが、
鏡の中の像では鼻は頭から「南」向きに
突き出している。
ここで何が起こったかと言うと、
鏡の像は右も左も上下も
ごっちゃにしたわけではなく、
前と後ろが逆になっただけの
ことなんだ。」
これは明快!
ぼくたちって、右手を上げると、
鏡の中のぼくは左手を上げる。
と思ってしまうけど、
本当は、右手を上げると、
鏡には僕の右手がそのまま上がる。
左右も、上下も反転していない。
前と後ろが逆になっている。
「実際には鏡の面にそって
対照的に入れ替わっている」
だけなんです。
*
ぼくは右手首にほくろがあって、
左手首にはほくろがないんだけど、
右手を上げると、
鏡の中の自分も「ほくろ」のある
右手を上げる。
それと同じように、
頭はもとどおり上にあるし、
足も同じく下にある。
そもそも、「左右反転している」
という事実がないのです。
「前と後ろが逆」なだけ。
もし、みなさんが、このような問題に
今後出くわす事があったら、
このことを覚えておくといいかもしれません。
2020/06/24