worksは8/24に更新しました.

いとし君のこと

自分自身に正直でいるということは
とても難しい。
 
自分勝手で、わがままで、馬鹿。などと
批判的な目で見られる原因となる。
 

 
よって、多くの人はやりたくない仕事を
やりがいのあるような顔でこなしたり、
好きじゃない人の話し相手になったり
自分の気持ちとは異なる意見を
言うようになったり、
とにかく、周りが作る自分に収まろうと
へこんだり曲がったりしようとする。
 
社会に出る上では自然な成り行きだし、
それに、これは不思議なもので、
善と悪をみごとに調和する結果を生む、
と勝手に思っています。
 
嫌いな奴が「悪い奴」だと限らないし、
善意がうっとうしいこともある。
 
悪いと正しいのバランスが
取れてしまって、敵とも味方とも
取ることができない。
 
「嫌な奴だけど、あいつは正しい」と
思ってしまうと、
自分の中でほんとうに大切にしていた
はずのことが霞んできてしまう。
 
だんたん何がじぶんの正直な気持ちなのか
見分けがつかなくなる。
 

 
その点、
ドラマを見ていて安心感があるのは、
「肯定されるべきもの」と、
「そうではないもの」が、はっきりと
描き出されているところだと思う。
 
肯定されるべき存在が主人公。
そいつが様々な登場人物にどれほど
「お前は必要ない」と言われても、
視聴者である私たちは
「それでもあなた(主役)は正しい」という
観点を持つことができる。
 
それはまったく幸運な出来事。
 
正直に生きると言うことの難しさ。
その前に正直でまっすぐなこころを
持つこと、自覚することの難しさ。
 
この「わたしの中の本当の正しさ」への
自覚をドラマによって確認する。
それが日々の生活をこなす力となる。
 

 
「ドラマ」と言うとき、ぼくは
NHKの朝の連続ドラマ「純と愛」を
思い浮かべて書いていました。
 

 
昔々の人は、奇跡のような見えない力を
熱心に信仰できていた。
 
現代では科学的ではないことを
こころから信じられる人は
ほとんどいないかもしれない。
 
いとし君が不思議な力を
持っていることも、周囲の人々は
なかなか信じることができない。
 
「私はあなたを信じる」と言った
純でさえ、ついには「あなたは病気よ」
と口走ってしまう。
 
実際、ぼくたちは何を信じることが
できているだろう。
 
自分の中にある目には見えない
何かを信じることが、力となる。
そういう気がしている。
 

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