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異文化への憧れ

お店でコーヒーを飲んでいると、
三回に一回くらいは、辺りから
こんな台詞が聞こえる。
 
「ああ、ディズニーシーいきたーい。」
どの声もため息まじり。
 
それを聞いて心の中で
「ぼくもー」と思います。
 
あの憧れ感はものすごい。
どこからそういう気分が湧いてくるのか。
 

 
司馬遼太郎に「文明と文化について」という
エッセイがある。
 
四十代まで海外旅行をしたことがない
という著者は、
「行かないことに、理由があるのです。」
と言い訳まじりにいったそうです。
 
(以下引用)

 
空想のなかで海外をおもうというのは
じつにたのしい。それは三角定規を
そっと立ててみるようなきわどさで、
むろん現実には立ちはしない。
しかし立ててみようとするたのしみは
無上のものです、
となかばうろんくさい。
 

異文化への憧れ、ということだとおもいます。
 
そもそも文明と文化について、
彼はこのように区分していました。
 
「文明はまず民族(文化)を
越えていかなければならない。」
これは普遍性の高いものということ。
山奥の民族がipodでレディ・ガガを
聞いていたなんてことは、よく聞く話。
 
ipodは民族を超えて使われている文明。
 
「しかし、文明はかならず衰える。
…(中略)普遍性をうしない、
後退して特異なもの(文化のこと)に
なってしまう。」
 
モンゴル人民共和国という国では
現在でも遊牧民族がおり、
馬乳酒とよばれる無糖のカルピスを
ドンブリ一杯ずつ日に四杯も飲むらしい。
 
紀元前の頃は文明として広がっていたが、
現在でスターバックス•コーヒーで
馬乳酒というメニューは出しようもない。
これは異文化ということとなる。
 
交通文明や法の文明がどんどん現代的、
日常的になっていくのと相反して、
過去の文明であった不合理なものたちが
エスニック(異文化)として変化する。
 
私たちは文明に接する機会があっても
異文化に接することはほぼない。
想像の世界。そこに空想と憧れと郷愁が
凝りのようにかたまるのも不思議ではない。
 

 
おもえばディズニーシーって、
異文化の集合体じゃないか、と気がつく。
 
文明とは切り離された世界を歩くことが
出来る、まさに空想の世界。
 
ここに憧れ感が生まれているんだなあ。
 

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