作文の基本は「お悩み」
とうとう作文の数が、
570まできた。
始めたのは、確か2011年の12月1日から。
そのときはとにかく暇だったのと、
自分のホームページを作り込むのが
楽しかったのとで、
毎日作文を更新していた。
しかし半年後、操作ミスで
サーバー上のデータをすべて
消してしまう。
したがって150ほどの作文を
消失したことになるから、
あわせると
700まで届こうか、というところ。
ちなみに、
データが消えた時
(つまり、このHPの最初の投稿時)
の生の声は、ここから。
*
そもそも、作文及び日記を書く習慣が
ついたのは高校生の時から。
今更になって思うけど、
自分にとって
作文を書く意味ってなんだろう?
ぱっと思いつくままに
一言でいうなら、
セラピー。
日本語で言うと心理療法。
ではないかと思う。
*
ちょっと話を方向転換
させるが、
呪文っておそろしい。
たとえば、
「君は馬鹿じゃないんだから」
とか。
「じゃない」と言われてるのに、
半分くらいは
そう言われてる気がする。
ぼくは食べるのが遅いが、
「いつまでも飯食ってんじゃないよ。
口の中でウンコになっちゃうぞ!」
と言われた場合も、
そんなことぜったいならないのに、
なるような気がしてくる。
…これは、良くない方の例だけど、
言葉だけで、生まれる気持ちがあるし
一方で解消されることもある。
恥ずかしいことがあったときには
「恥ずかしかった」と。
やりきれない気持ちになったときは、
「やりきれない!」書くだけで、
不思議と、なんとかなるような気がする。
大事なのは、「気がする」ということ。
「気がして」さえいれば、
実際そうなのだといってもいい。
言葉はなにかに作用する力を
持つことがある。
*
それが自分にとって
意味があるかないかは、
悩みがあるかないか、と
同じだと思う。
悩みがなければ、
別にかまわない。
悩みがあるというのは、
もうちょっと、こっちの方向に
行けたらいいなと思うこと。
今よりも、もうちょっと
なにかを移動させたい。と。
そんなときの推進力の源と
なるのが、言葉だったりする。
必然的に、本心を書かねばだし、
悩みを解決したい思いで書くから
嘘をついても、恰好良さげなことも
意味はなし。
割と土まみれなかんじ。
作文を書く基本は、
自分の悩みをとらえて、
それについて具体的に考えること。
悩みは、大なり小なり途絶えない。
というわけで、作文は続く。
2018/11/26