そら耳が運命を変える
期待するようにとらえちゃう。
っていう性質が人にはあるようです。
この下の動画を、
(※かならずイヤホンを)
まずは、画面を見ずに、
音だけで聞いてみてください。
音だけで聞くと、
何を言ってるのか、分からない。
そりゃあそうでしょ。
だって日本語じゃないもん。
なんだけど、
画面の字幕を見ながら聞くと、
たしかにそういっているように
聞こえてくる。
*
これって、実は…、
すごく、怖いことかもしれない。
だって、全然「そうじゃない」のに、
自分が期待すると、
その通りに見えてきてしまう。
…ってことは、
たとえば、怖い話や、
恐怖映像をずーっと見た後は、
目の端でちらっと動いたものや、
何かの物音を、
おばけかもしれないような
気がしてきちゃうし、
落ち込んでいるときは、
まわりのいろんな現象が、
すべて自分を責めてくるような
気がしてくる。
しかもそれらが、蓄積されていくと、
マザーテレサの名言の通りに
なりますな。
思考に気をつけなさい…
(超中略)
それはいつか運命になるから。
ってやつ。怖いぞ。
*
ただ、逆をいえば、
逆になるわけだし、
この仕組みは、表現の種として
考えてみると、面白くなる。
というのは、
(ちょっとたとえが悪いけど)
電気工事の職人が道端を
歩いているのと、
空き巣の常習犯が
歩いているのとでは、
同じ道を歩きながらにして
見る場所が違うという事になる。
目的と関心、思い込みが、その人の
世界の見え方を左右する。
と考えると…
電気工事の人は、
(適当に言うけど)
電線と電柱の種類や接続の仕方を
見ているし、
空き巣犯は、
家に人がいるかどうかを見る。
*
以前、ほとんど作ったけど
挫折したアイディアがあって、
もっかいリベンジしたい。
短いひとつの物語があって、
その最後に
「あなたが、もし〇〇だったら」
「あなたが、もし◇◇だったら」
…などいくつかのパターンを
想像してもらい、
もう一度読むと、
物語の意味が全然変わる。
たとえば、主人公が
彼女の兄だったとしたら?
恋人だったとしたら?
スリ師だったとしたら?
などなど。
いくつかの視点を与えて、
同じ話なんだけど、
読むたびに、意味が変わるような
実験的な話を考えたい。
*
意識次第で、見え方が変わり
世界が変わり、自分も変わる。
っていうことが、
仕組みとして面白いと思えるし、
実際にそういうことが、
自分の身に起きていると
自覚したときに、
ハッとさせられる。
本当は全部そら耳かもしれないけど、
次第に現実に作用していく、
というところに。
2019/06/07