絵の描き方のこと
絵について。
人にはそれぞれ絵の描き方があって、
長く絵を描いている人ほど
自分の描き方には理由があるものだと
思います。
なんとなくだとしても、
そこにたどり着いたのは
ちゃんとした力が働いているんです。
ビーズを机からこぼしてしまって
落ちた先の床をさがしてたけど、
そことは反対方向に見つかるとき
「なんでまた
そんなところに転がったの?」と
思ったりしますけど…。
ビーズに重力が働いているように
自分に適した絵の描き方にも重力があって
勝手に転がるようにやってくる。
そして、それは一見望んではいなかったり
邪道のように思えたりするもの。
でも、じつはそれが自分らしい絵の描き方
だったりするんです。
*
ぼくの場合は、
描きながらイメージが徐々に
はっきりしていくタイプなので、
(描く前からはっきりと頭に
イメージができている人もいるらしい)
描いて消して、を延々と繰り返すという
やり方が性にあっているんです。
なので、必然的に
鉛筆で描くことに。
ペンで消せない線を描いてしまうと、
後戻りができなくて後悔することが多いんです。
で、下書きの鉛筆の線をそのまま
本番に活かすので、線を汚さない水彩が
自然と合うかなということに
なっているんです。
色鉛筆とかパステルとか、
筆圧がかかったりこすったりすると
せっかく描いた鉛筆の線が
混ざって汚れてしまうんですよね。
(余談ですが、鉛筆で描いた主線を
パソコンで色付けするというのも
最近みつけた自分合う描き方。)
*
ちょっと話は変わりますけど、
前の作文でも引用した
吉本ばななさんの以下の文章。
「まるでスポーツの試合のように、
ただ全身で、その場に求められていることを
判断すること。
そうしたら扉は開く。
別に幸運に向かってというわけではなく、
ただ、自分の道に向かって。
とてつもなく大きななにかの流れに乗って。」
いま、自分がいるこの場で
求められていることってなんだろうと
考えると、
絵のなかの人(モデルさん)たちに魂を込める、
ということだと思うんです。
いつもしているつもりだけど
油断すると、なかなかできなくて。
それを実現するためには、
やっぱり、描いて消して、が合うよなと。
時間の関係で、とか、
ま、こんなもんでいいかなとか、
別なことに気をとられながらとか、
毎日のことが丁寧でなくなっているかも、
つまり、
求められていることに
答えられていないかも…
そう思ってぞっとしている最近。
余計なことに気を取られずに
丁寧に絵と向き合う時間を
つくろうと思っています。
*
話はさらにそれますが、
近頃は絵のことばっかりで
「ことば的」なおもしろさはどうした?
と自分でも思っているのですが
そちらも複数ゆっくり進めています。
絵と違って「ことば的」な角度の作品は
日々かたちにできるものじゃないので、
長いスパンをスローモーションのように
楽しんでいるという感じです。
2022/06/30