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文のコンパス

いつだったか本屋さんで、
「マンガで学ぶ文法」の本を手にとって
読んだことがあった。
本の対象は小学生。
 
具体的にどんなものだったか、
もうあまり覚えていないけれど、
とにかく読んでいるうちに
自分が小学生になったような
白紙の気分になって
「あ、こうやって書けば、文に力を
込めることができるぞ」
とびっくりしたのでした。
 
どうしてそう思えたのかは
分からないのだけど、
それは「接続詞」のページを
開いている時だった。
 

 
しゃべるのは無意識だけど、
書くには意識をしなくてはいけない。
 
ぼくの知ったかぶりフィルターを
取り外してみると、実は、
文ってどうやって組み立てれば
成り立つのか、そのとっかかりすら
見つからない。
 
なんだけど、その時に一瞬だけ
それがクリアーになったのです。
 
うーんなんだろう。
まずは、文節ってのがあって、
なかでも主語と述語というふたつの
文節さえあればいい。
「わたしは」「歩きます」。
ほら、文の出来上がり。
 
そこに修飾語がくっついたりすれば
気分も豊かになる。
「わたしは」「ゆっくりと」「歩きます」。
 
文なんていうのは、
こんなもので十分。
 

 
問題はここから。
その文と文とが、接続詞によって
関係を持つようになると、
いろんな表現が自分の手のうちに
入ったような気がする。
 
それはべつに美しいとか
芸術的な表現、というわけではなく、
自分の意志によって
「文が相応の効能を発揮する」
というような意味です。
 

 
もうひとつ文を作ってみる。
「この橋は」「ぐらぐら」「ゆれる」。
主語、修飾語、述語。
この3つの文節で豊かな文の出来上がり。
 
さっきの文と、今の文に
脈絡はないけれど、接続語を
使えば意味が生き生きと膨らむ。
 
「この橋は」「ぐらぐら」「ゆれる」
「ので、」
「わたしは」「ゆっくり」「あるきます」。
 

 
接続語は、予感に満ちている。
例えば、ひとつ文を書いたとして、
その後に、どんな接続語がくるかと
想像すると、
次の文はこうくるだろうという、
とっかかりになる。
 
文と文との間で、意味の効能が生まれ、
「〜な感じ」がいっそう豊かになる。
 
「だが」「それで」「なぜなら」
「というのも」「そして」「すると」
などなど。
 
これを手がかりにすれば、
次の文がどんな方向に進むか、
という道筋が必然的に示される。
 
うーん、なんだか説明しようとすると
難しいけれど、
こんな、なんでもないことで、
びっくりするくらい「なるほど!」と
感じたのをおぼえています。
 

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