適度な行き来
昔、映画『マトリックス』を
初めてみた時、
わあ、これは…とおもった。
一言でいえば、面白いなと
ということなんだけど、
どこがどう面白くて
ワクワクしたのか、
すっかり忘れていた。
それが、こないだ、
『ミッドナイト・イン・パリ』
という映画を見た時に
思い出した。
あ、これだった、
というのを。
*
…その説明をするために
いったん話を回り道させるけれど、
たまに、こんな妄想を
することがある。
駅のホームで
電車を待っているとき、
または、
美容室で違和感を感じながら
ぼんやり順番待ちをしているとき、
ふいに家の呼び鈴が押されたとき、
あるいは、落ち込んで、
意味もなく町を徘徊してるときなど、
突然、目の前に頑丈そうな車が
一台止まり、扉がひらく。
なにものかが手招きをする。
「きみに用があって来た」
「ちょっと来てくれ」
「今すぐに、だ」と言われるがまま
別世界の人達に連れて行かれる。
…という妄想。
目の前のタスクを淡々と
こなしている、ぼんやりした日々に
終止符を打ちたい、と
それも強制的に…
そんなときにする妄想だ。
*
マトリックスにも、
ミッドナイト・イン・パリにも、
そんな連れて行かれるシーンがある。
観た人は分かると思うけど。
憧れるなあと思う一方で、
だがしかし、と、
こうも思う。
それって、言い方によれば
ただの「現実逃避」。
(※関係ないけど補足。
「現実逃避」とか「相手に媚びる」とか
それ自体に良い悪いはないはずなのに、
根っからそれは「よからぬこと」だと
断定するような言い方って
本当は好きじゃないんだけど…)
それに、現実逃避先に
死ぬまで居られるよってなったら、
結局そこがまた「現実」となって
自分を退屈させるのかもしれない。
要するに、
何がワクワクするかっていうと、
どの場所にいるか、というより、
「変わる」という瞬間を
味わいっていたいんだと思う。
旅行でも、ハプニングでも、
瞬間を楽しんでいるんであって、
その状態が延々と続くと思うと、
それはまた、それで、
平凡で物足りないものになってくる。
*
「連れて行かれる」筋書については
いくつかあるけど、
最近は、ぼくだったら、
江戸時代に行ってみたいな。
と思う。
「時々」でいいので、
なじみのある場所のかつての
町並みや、自然の風景を
散歩して、眺めたい。
より楽しむために、
行ったり、戻ったり、を
適度にできるとすばらしい。
2018/11/05