匂いの版画
絵を描いているときに、
聞いていた音楽、流していたアニメって
すごくよく覚えているんです。
いつでも思い出せるわけでは
ないですが、
時間が経ったあとでも
その絵を見ると、
あ、このときこんな音楽聞いていたな、
とか、あのアニメのこのシーンだった、
みたいに
ふぁーっと思い出されます。
記憶しようとしているわけでは
ないんだけど、ほとんど自動的に。
まるで有用性のない能力の
一つなんだけど。
*
同じような現象としては、
一般的には匂いと記憶が
セットになっているっていいますよね。
沈丁花とか、きんもくせいとか
際立って香るものも
季節感を呼び覚ましてくれるけれど、
地味な(あるかないか、わからないような)
なんでもない匂いにも
記憶が残ってることがあります。
それが空気の匂い。
空気の匂いって、
普通は「無」のように思えるんだけど、
朝まどを開けた時とか、
しばらくマスクをしていて、
人のいないところで外して
深呼吸したときとかに
「あ、空気の匂い!」
ってなることがあります。
ゆっくりすいこんでいくと、
空気は胸の中でちいさな花火を
ぱちんとひらかせ、
懐かしい景色を一瞬
明るく灯してくれるような…
そんなポエムな感情を
呼び起こしてくれます。
*
あれってなんなんだろうと
想像しているのですが、
お湯の中のお茶のパックみたいな
ものかもな、と考えてみました。
お茶の葉を、お湯の中に入れると、
ゆらゆら溶けだして、
お茶色に染まっていくんですけど、
空気も同じように、
いろんなものがお茶のパックみたいに
つねに空気に溶けだしていっている
と思うんですよね。
実際、顔を水で洗うと
すーっと涼しくなって、
タオルでふかなくても
自然とそのまま乾くのは、
熱や水分が、空気に溶けだして
いくからなんです。
空気は、「ある一帯」の
景色を吸着させた匂いの版画みたいなもの。
それが、長いこと移動して、
遠い町のぼくの家の窓まで
降りてくる。
その時に、その空気を吸った
ぼくの胸にしみ込むんです。
匂いの版画の風景として。
あ、なんだか
懐かしい気持ち。
空気の匂いは、
風景の記憶なんだな。
2021/05/21