言葉が作る風景
いま詩歌が読まれるとしたら
どんなものだろう。
栞とか、パズルとか、アクセサリーとか
メッセージカードとか、
なにか実用性があるものに言葉を
くっつけてしまえば、受け手として
「読む」という理由がつきやすい。
けれど、純粋に文字だけで、
それも575のように
いくつかの単語の組み合わせだけで
「面白い」と思えるものにするには
どうしたらいいんだろう。
こんなこと言うと、俳句を
やっている方々に怒られそうだけど、
俳句としての完成度、という
玄人の目線で考えるよりも、
単純に「好みだな」と思えるかどうかの
素人目線で考えてみたいと思う。
*
そういう邪道な気持ちで、
ぼく自身も575を書いていたのだけど
イメージが過ぎてしまっていけない。
たとえばこんなの。
忘れものとりにおいでよ三温糖
天沼のウナコーワクール光りだす
星空のこぐまわらって小倉あん
語感としてのやわらかさ、という
意識はするんだけど、そのために
「自分の頭の中のイメージ」に頼りすぎて
現実に即する感覚がほとんどない。
自由すぎるが故に、読み手の心に
入り込んでいくほどの説得力が
ないのでは、という懸念。
*
ではもっと「理屈」によったものならどうか、
物いへば唇寒し秋の風 芭蕉
世の中は三日見ぬ間に桜かな 翏太
精出せば氷る間も無し水車 不角
これは正岡子規著「俳諧大要」で
引用されているもの。詠まれたのはずっと昔。
どれも「なるほどな」と思える。
理屈としての説得力を備えている。
特に一番上のは体温まで伝わってきそうだ。
けれど、マンガゲームアニメで育った
私(たち)にとってみると、これらの
実写的な表現では飽き足らない気持ちがある。
では、その中間として
こんなのはどうだろう。
水中の河馬が燃えます牡丹雪
坪内稔典著「高三郎と出会った日」から
引用したもの。
この句のことについて書いた俳文からも
いくつか引用を箇条書きしてみる。
●少しマンガ的な光景
●ネンテンさんの俳句は言葉の風景
●現実にある風景ではなく、言葉が作る風景
ああ「言葉がつくる風景」って
そういうのもありなんだなあ、と思う。
他の坪内作品はこんなかんじ。
星冴えてフィラデルフィアの窓みたい
落ち葉してピアノになったハイヒール
探偵の靴に日がさし牡丹雪
語感が気持ちいいし、単語同士の
取り合わせが意外で、そこから
面白さと妙な説得力が生まれている。
ここに近づきたい。
2012/10/02