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見られテリトリー

ふと自分のことを、
ださいなー、と思うことがある。
 
誰なら共感してくれるのか
分からないけど、
ずっと家でこもっている日に、
「ちょっとそこまで」って
気分転換でコーヒーを買いに
行くようなとき。
 
コンビニでも、ドトールでも
どこでもなんだけど、
さっきまでの家にいた
もわもわ感がとれないまま
蜘蛛の巣をかぶった気持ちで
人前に出たような気分。
 
あれはなんなんだろう。
ださいと思えてしょうがなくなる。
お金を差し出す腕の袖から、
パジャマ同然の長袖シャツが
ちょろんとのぞく。
 
うわー、やめてくれー!
早く帰りたいよー!
という具合になる。
 
髪の毛も半寝ぐせで、どことなく
ふかふかしている。
 
部屋にいる時にはまったく普通の
つもりだったのに、
突然ださくなったようだ。
 

 
思いかえすと、あれは、
見られている意識レベルの違いだと
おもった。
 
「どこまで見られているか」
と思うことと、
「どこまで身だしなみの気が届くか」
ということが、
完全に比例関係にある。
 
家にいると意識は目を中心として
半径5センチくらいにしか届かない。
当然、どんな服を着ていようが
どんな表情をしていようが、
構わない。存在しないものなんだ。
 

 
一方、和服美人はどうだろう。
和服美人はうなじが命なのだそうな。
ぼくにしたら、うなじなんて
襟やえりあしで隠れているので、
完全に死角なのである。
 
そこが汚れていようが、
ださかろうが、全く気がつかない。
 
でも、その和服美人は、
うなじも見られていると意識するおかげで
しっかり手入れをしているに違いない。
うなじを司る脳細胞も
さぞかし発達していることだろう。
 

 
「テレビに出ている人は
始終、人に見られているので、顔つきも
経験とともに、いい感じに変わっていく」
と聞いたことがあるけど、
それと同じで、
「身だしなみ神経」のテリトリーを
どこまで通電させることができるか、
ということが、
ださく「なくなる」秘訣だと思う。
 
むりだな。

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