worksは8/24に更新しました.

説明ふかのー

夕方、自転車で散歩していると、
ちょうど下校時間だったようで
学校帰りの小学生たちが
ぞろぞろ歩いている。
 
この小学生たち、
班行動の日ではなけりゃ
おおよその地点までは、
好きなもの同士でなんとなく
いっしょになってグループになる。
 
しっぽりと
手を繋で歩く男子2人や、
からから笑う6人くらいの
やんちゃなグループ、
(そのうちの2人くらいは
拾った棒か傘を振り回している)
それから、3人でひそやかに
くすくす笑っている女子。
 
それぞれのグループで、
世界観が異なっていて、面白い。
 
自分だったら、どの属性に
入りたいと思うだろう?
 
個人の性格から、少し広まって、
グループがもつ世界観っていうのは、
なかなか、一言では言い表せない
空気感、居心地がある。
 

 
そういえば、
ちょっと話は変わるけど、
今、絵本ってめちゃくちゃ
いろんな種類があるし、
形式もなんとなく寛容になってきて
数もたくさんある。
 
気分的な印象でいうと、
飽和状態にあるような気がする。
 
そんな絵本について考えるとき、
だいぶ複雑で、こんがらがって
いるように思えてくる。
 
あるいは、もはや、
なにも考えていないも同然
のどちらか。
 
「こどものとも」「岩波のこどもの本」
「岩波少年文庫」などが
はじめてつくられた頃は、
きっと今と違って、もっと
絵本というものがシンプルだったんじゃないか。
 
動機とか、作る意味とか、
印刷、製本のあたりも含めて。
 
その頃はどういう気分でいたのか、
興味があったので、
昭和46年に当時の絵本出版社の社長や
作家が対談している本を読んでみた。
「絵本の世界」(すばる児童文学研究)
p339より
 
すると、(以下略引用)
「目に見えている絵本で
勝負しているわけだけど、
それ以前に目に見えない
絵本の世界が現存していて…」
 
(かなり熱弁をふるってるなあ
とおもいながら…引き続き引用)
 
「しいて言えばイマージュといっても
いいかもしれない。
ライターも、絵描きも
いわず語らずその世界を
踏んまえている。」
 
なかなか抽象的な話ではあるが、
これって、結局、
小学生のグループの中にある
雰囲気や居心地の感触と
同じことなのでは、と思う。
 

 
最近ぼくの好きなマンガは、
「あずまんが大王」や
「あそびあそばせ」や
映画だったら、
「グーニーズ」とか、
小説は…
マニアックなところでいうと、
中勘助の「郊外 その二」とか。
 
ストーリーとか、絵がいいとか、
キャラがいいとか、
目に見えて、説明できそうな
ところだけを伝えても、
なかなか相手には伝わらない良さ
というものがある。
 
それってなにかっていうと、
いっしょにいて、楽しい、という
ただ、それだけの時間のこと
だと思った。
 
関係性が生み出す空気感。
 
そういうイメージをもって、
なにかを作るっていうのは、
簡単そうで、そうそうできない。
 
表面的な色や形の美しさや、
ストーリーだけではなくて、
なんか、あの、ぽやーっとした
いいかんじがさあ、いいよねえ、
みたいな、
そんなところを意識しようと。
 
そう思って、
散歩から帰宅した。

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