絶対的じゃないので
駅から家まで歩きながら、
イヤホンで音楽を聞いていた。
それがとても良かったんだけど、
もし、これがイヤホンじゃなくて、
夕方のチャイムみたいな市内放送?の
スピーカーで流れていたら、
けっこうな騒音になるよな、と
想像していた。
ぼくがどんなに心地よくても、
さすがに町の人とリアルタイムで
この感じを共有できるわけない。
それで、あ、音楽って絶対的なものじゃ
ないんだなと思った。
たとえば、しずかな場所で本を読んでいるとき、
とつぜん隣の家からダンスミュージックが
ガンガンにながれてきたら、どうか。
普段なら、そういったDJ的な(よく分からないけど)
音楽も嫌いではないけど、今ながれると
気になって本に集中できなくなってくる。
うるさいなと。
唐突に、自分と関係のないところから
ながれてくる音楽に対して、
けしからんと、思ってしまうことがある。
いうまでもなく、電車内のイヤホンの音漏れは
聞くに堪えないし、
ipodのランダム再生できいている時でも、
静かなピアノの曲の気分のときに、
出だしからごりごりのギターの音がながれてくると
うるさーい!ってなってすぐ飛ばしてしまう。
*
話は変わって、
これは音楽の話ではなく、作品のことだけど、
だれかが言っていた言葉がふとよぎる。
「アートブックでも、写真集でも、
一般的にニーズがないジャンルでも、
本当に飛び抜けた作品をつくれば、
いいものは、いいものとして受け入れられる。」
という理想論みたいなこと。
絶対的ないいもの(自分自身にとって
最高のもの)を作れば、
結局みんなに通じるものなんだ、という。
俺たちは最強になれるんだみたいな、
スーパーサイヤ人的な精神論は、
もうほんとうにいい加減だと思う。
どんな有名なロックバンドでも、
聞きたくない時には騒音になるし、
教科書に載っている作曲家の音楽も、
ときには退屈に聞こえるもの。
作品の良し悪しは全く相対的であって、
問題とすべきは、
誰に、どんな状態で、どういう伝え方が
できるか
ということから考え始めることだと思う。
マーケティングとか、商売根性とか、
媚を売るとか、全然そういうことではなくて、
自然な感覚として、
見てもらう相手のことや、
そのときの状態のことを考えながら、
作品は作られていくもの。
作ったものが、時には不要とされたり、
迷惑だったりすることもある、
ということを踏まえてるくらいが、
いいんじゃないかと感じている。
2014/10/08