生きていくのに必要な…?
「素朴な疑問なんだけどさ、」と
たまに誰かが言っているのを聞く。
自分もそれとなく言ったりするんだけど、
「素朴な」ってどういう意味で
言ってるんだろう…、
と自分でも振り返ってみると、
傷つける気持ちも、悪気もないんだけど、
というワンクッションのつもりで
言ってるんだな、と思い当たった。
今回も、そういうつもりで言うけれど、
素朴な疑問がある。
*
美術大学へ通ったり、アートやデザインや、
そういうところにいる人たちって、
なにかと「自分たちのやっているのは
生きていくのに必ずしも必要なことではない。
なくても生きていけるじゃないですか…」
と言う。
聞いている人もそれをもっともだ、
という顔でうなずいてしまう。
けれど、それを聞くたびに、
なんとなーく「素朴な疑問」らしきものが
頭をもたげてくる。
もし、生きていくのにアートや娯楽が
必要ないのだとしたら
なぜ、いま、こんなにもゲーム、映画
本、音楽がこんなにも豊富なんだろう?
と思う。
なぜ大昔から、人は想像をふくらませて
ありとあらゆるものを創って、今なお
受け継がれているんだろう?
とも思う。
*
逆に考えてみると、
生きていくのに必要なのは、
例えば、食べること、
あと水電気などのインフラ。
とか?
(突き詰めれば、電気も
なくても生きていける。
かなり困るけど。)
「食べる」に関していえば、
食べることは、生きるのに必要だから、
自分たちのやっていることは
社会的に問題ない。
という認識があるだろうか?
ないだろうか?
人気が廃れて、つぶれていく
町の大衆食堂は、食べるという意味で
「生きていくのに必要」なんだから
続いていくべきなのに、
どうしてそうではないんだろう。
水道は各都道府県の管理だけど、
電気は、いろんな会社がしのぎを削っている。
電気はみんなのためになるからといって、
今、あたらしく電気の会社を作っても、
入り込む余地はそうそうないだろう。
生きていくのに、必要なら、
沢山あったっていいじゃないか?
でも、どうしてそうもうまく
いかないことがあるんだろう?
*
生きていくのに、必要か、そうでないか、
は、表現活動するうえで、
まったく関係ない、とぼくは思う。
むしろ、ぼくにとっては、
なくてはならなかったよ、と言って歩きたい。
音楽やマンガや、本があったから、
前向きに生きてこれた。
心を動かすものを創るひとのことは
友人であっても、遠い昔の人であっても、
誰でも尊敬したくなる。
*
「生きていくのに必要ない」という前提に、
無人島で暮らすのに…みたいなイメージがあるが、
ここは無人島ではない。
適切な言い方に直すと、
「生きていくのに必要か」のところを
「お金を払うべき価値があるか」と考えるいい。
「自分たちのやっていることって、
お金を払う価値がないじゃない?」
と言っている。
と思えば、納得するけど。
それでも、「あれよ!」とツッコミを
入れたくなる。
2018/03/12