worksは8/24に更新しました.

言葉にある科学

好きな物理学者はファインマンさん。
「好きな物理学者」と言っても、僕自身、
まったく物理のことは分かっていない。
けれど、その人の考え方とか生き様に
強くこころひかれるものがあります。
 
岩波現代文庫から、いろいろな
ファインマンさんシリーズが出ていますが、
どれも難しい数式などは書いておらず
するすると読めてしまいます。
以下『ファインマンさんは超天才』の引用
 
「物理学は星の美しさを奪い、気体原子の
単なる塊にしてしまうと詩人は言うが、それは
「単なる」などと片づけられるものではない。
(中略〜)
この真実は過去のどんな芸術家が想像
したよりもっとすばらしいものなのだ!…」
 
詩や芸術が、人が想像しうる範囲での
出来事だと考えると、
科学は私たちが知りようも無いような
パターンや意味をもってうごいている。
これはとても神秘的だ、というのです。
 
うーん、そこに僕も魅力を感じる。
 
冬の紅茶101
 
一方で、ボリス・ヴィアンの小説に
こんな文章があります。
 
「コランはあまりに親切だったから
そのほっそりとした手の血管の中で
彼の想いが揺れ動くのが青や薄紫色に
透けて見えるほどだった。」
 
親切な気持ちが手の血管から透き通って
見えるなんて、なんて妙な文章だろうと思う。
 
こういう詩的な文章は、さっきの
ファインマンさんと矛盾しそうだけど、
こういうものにも、こころひかれてしまう。
 

 
そこに共通点があるなら何だろう。
 
たまたま手にとった
「文章を理解するとは」という本の
第1部の序文に答えがありました。
 
「(文を読み)「分かる」という感覚は、
心の働きから見ると、どのような
過程なのでしょうか。」
 
これは言葉をどのように頭の中で
認知するか、を追った本。
 
文章を読んで、こう思ってしまうのは
なぜだろう。この感覚はなんだろう。
ということは、意識ではなくて、
脳にある自動読み取り機能みたいなものが
勝手に動いているのだと思う。
 
自分でありながら、自分ではないなにかの
仕組みが働いている。ここに、
科学的な感覚で言葉に向き合うことが
できる理由があるのかもしれない。

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