感想戦
記憶力というのは、
理解の程度と比例している
と思う。
訳も分からない数字や記号を
暗記するより、
語呂合わせで意味付けしたり、
最初の4桁が日付で、そのあとが
名前の頭文字をとったアルファベットで、
みたいな感じで、
意味を理解しているだけで、
記憶は定着する。
そういう意味でいうと、
自分は意味付けが苦手で
理解力に乏しい。
ということはつまり、
記憶力も弱いということになる。
実際そうで…、という具体例は
いくらでもあるけれど、
もっとも顕著なのは、その理由さえも
なんだかふわふわしすぎていて、
何のことだったか、
もう覚えていないということ。
これはひどい。
*
その点、
信じられないくらいすごいのが、
将棋のプロ棋士。
対局後、感想戦といって、
1局の過程を振り返って、
負けた方も、勝った方も、
お互いに最善の手を打てたのか、
というようなことを
勝敗がついてなお模索する、
というやり取りがある。
一回の対局で平均110~120手、
ということらしいけど、
それをほぼ覚えている。という。
「この手は、実はここに効いていて
だからこう打つと、
流れは変わっていた。」
みたいなことを上手な人に
ガイダンスしてもらえると
めちゃめちゃよくわかる。
という経験が自分にもある。
1手ごとの意味を
ちゃんと理解しているからこそ
なんだろうな。
*
話は変わって、
いま作っている絵本の話。
コンテを何度も描きなおした。
多分、10回は。(もっと?)
その10回の中には、
大きく変えた回もあれば、
微調整だけの回もある。
ここで将棋の感想戦を思い出して
欲しいのだけれど、
コンテの1回を将棋の1手と比べると
たかだか10回ほどの経緯を、
ぼくは覚えていない。
言葉あそびをストーリーにかなり
密接に食い込ませているので、
論理的にみて、世界観やルールに
食い違いがないか、とか
子どもたちの反応をみて、
あるいは読み聞かせをしてもらって
読みやすさがどうとか、
モニターして頂いた感覚とか、
その時々で、思うところや、
発見があって、
コンテを描きなおしている。
はずなのに。
覚えていない。
これはまずい。
実はちゃんと
理解していなかったじゃないか。
*
作ったものを宣伝の力で売ろう
という魂胆がそもそも悪しき習慣。
帯に著名な人の名を借りて…
とかするのって、
「世間に受けないかもしれない」
「この本の存在理由は弱いです」と
言っているようなもの。
それだったら、
自分で作っているものの経緯を
振り返って、
これがなんで世の人たちが欲しいと思うか、
どんな効果があるか、
これを、コンテ1回1回ごとを振り返って
考えてみたい。
つまり感想戦がしたいのです。
最近、気が付いたのだけど
ネットには論文というものが
たくさん公開されている。
言葉の認知に対する研究や
子どもが言語を獲得する過程の研究
絵本が認知活動にどう影響しているのか
などなど、
どういう効果を持たせたら…
という指針を求めたい身としては
読まない手はない。
そうなると、
新規性ってなんだろうと思う。
もしかすると、それって
オリジナルな解決方法であって
自己表現ではないんだな。とおもう。