情報でないものをキャッチ
ふと「情報社会」という単語が
頭をよぎった。
なんとはなしに、
そういえば、自分はいま情報社会に
いるのだった、と思った。
ふりかえってみると、
ネット上に意識を持って行かれる時間は
そう少なくはない気がするし。
かといって、
たくさんの情報があるにしては
記憶にはあんまりのこらない。
本を読んでいる時と似ている。
どんどん通り過ぎて、
ひとつひとつがさほど大切じゃない
という感じに思えてくる。
*
ちょっと話が変わるけど、
そもそも「情報」ってなんだろう。
養老孟司は「情報は残るもの」だと
言っていたっけな。
例えば本だったら、ストーリーを忘れても、
また同じものを読み直すことができる。
これは情報だから。
メールもsnsも情報。
忘れても、大丈夫。探しに行けば、
同じようにそこに残っているから。
川のながれみたいに、どんどん
膨れあがって、去って行く。
でも、ずっと先の方では、大量に
プールされていて、いつでももどって
ひっぱりだすことができる。
*
情報が残るもの、であったら、
「情報ではないもの」ってのは
なんだろうと思う。
記録されていない会話、
その時に思ったこと、感じたこと、
思いつき。。
情報のひとつひとつが
大切ではないような気がする。
と言ったけど、
「情報ではないもの」の方が、
ずっと大切だと思われていない。
というより、気がついていない、
というか、すぐ忘れちゃって、
ないようなことになっている。
と、思う。
「コンパスの針がどっちを
向いているか」というような、
(言葉にできなくて曖昧だけど)
気持ちの振れ方がどうだったか、
ということを思い出してみること。
それをどんな形であれ
能動的に活かすことが、
個人的に必要な気がしてきている。
2015/05/30