反省としての「遊び」と「学び」
遊びを学びに。
学びを遊びの中で。
絵本を作る過程で、こんなことが
頭をよぎる。
そうあったらいいな…
そんなふうに
役立ててくれたらいいなって。
*
でも、
「遊びが、学びには欠かせない」
「遊びの中の学び」
「「あそび+学び」で、楽しく深く学べる」
…
ネットでちょっと検索するだけでも、
こういうワードは腐るほど出てくる。
たぶんちょっと腐ってる。
なんでかっていうと、これって
大人が子供を見下ろしていう言葉だから。
「遊び」と「学び」をセットにして
意見をいう時、大抵の大人は
自分のことは棚の上。
でも全然悪気はないし、
良いことをしようと考えているのだから
否定はしないし、その可能性についても
あるとは思うけれど、
それを言う大人自身が、
どれだけ実践しているかどうかが
ぼくにとって腐るかどうかの
境目だと思う。
*
話題はちょっと変わるけど、
インスタやっていると、たまに
「ぜったいに稼げる投資の方法を
教えます!」みたいな自称トレーダーから
メッセージがくるんです。
絶対に稼げるって保証するなら、
あなたの全財産を突っ込んで
自分で稼ぎまくればいいのでは?
という素朴な疑問が。
だって、
なんの脈絡もない他人に連絡して、
「絶対に稼げるから教えます!」なんて
その親切の理屈が理解できない。
理屈の分からない親切は、怖い。
もし適合する理屈があるとするなら、
その人は投資で稼いでるのではなくて、
教えを乞う人からお金をとることが
収入源となっている、ということの
他に理由が見当たらない。
*
これと同じ形式が
もしかしたら、「遊びと学び」にも
あてはまるのでは…汗
もし、仮に本当に
「遊びと学び」がいいと実証できるなら、
まずはそれを言うあなた自身が
実践するのが一番いいんじゃない?
って思う。
そうじゃないなら、それは
稼ぐための考え方なんだなと思うし。
…いえ、自分のことはいいんです。
子どもたちの未来のために…
という心の声が
自分の胸からきこえてくる。
え?
自分ができていないし
実感できていないことを
どうやって子どもに伝えるつもり?
自分でできなくてもいいけど、
こどもにはさせるっていうのは、
なかなか無理がある。
…
という反省のもと、
あ、大人が遊びで学ぶって
こういうことじゃんと、
気が付いたことがあったので、
明日はそれを書きます。
あと232日
2021/05/15