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俳句の因数分解

俳句の因数分解というのを
思い付いたことがあった。
 
俳句の「575」は、(1)と(2)の
二つの要素に分けて捉えることができる、
という考え。
 
(1)は「題目」。
これは一般的な名詞が多い。
(動詞の連用形としての名詞も含む。)
 
(2)は、(1)を
「限定するフレーズ」。
 
この二つの要素が合わさることで、
お互いが相乗的に生き生きする
かけがえなのない組み合わせとなる。
各々だけでは、成り立たない。
 
例えばこんな句であればどうだろう。
 
紙風船三つ数えて飽きにけり 土肥あき子
 
題目として(1)紙風船。
これを限定するフレーズとしては、
(2)三つ数えて飽きにけり。
という具合に分けることができる。
 

 
サイダーの泡より淡き疲れかな 川上弘美
 
この句ならばこんなふうに。
(1)疲れ
(2)サイダーの泡より淡き
 
ただこれだけだと、だから何、
という感が強く、なんだか曖昧。
 

 
そんなときに坪内稔典の本を
読んでいると、こんな部分を見つけた。
 

 
「俳句は元々、言葉の戦いとして
始まった。俳句の祖である俳諧では、
たとえば『くろきものこそ三つならびけれ』
(黒いものがなんと三つ並んでいるよ)
という句に対して、
「なかに子が左みぎりはおやがらす」と
付けた。「みぎり」は右。
前句の謎を解いたようなこの付け合い
…(中略)が俳諧の原型であった。
俳諧ではいかにうまく謎を解くかを
競ったのだ。」
 

 
俳句というものの原型は、先の
(1)の題目に対する答えが
(2)の限定するフレーズである、
という「謎解きの構造」を
抱えていることが、改めてわかった。
 
「(1)題目」がより際立つための
フレーズとはなんだろう。という
謎解きの構造があるようだ。
 
そういう目でもうちょっと例を
見てみようと思う。
 

 
まず(1)「ぶらんこ」という題目。
これを限定するフレーズとして、
 
(2)「面識もなく隣り合う」を付けてみる。
これらをつなげると、
 
面識もなくぶらんこに隣り合う 土肥あき子
 
という一句として完成する。
 

 
最後に、もう一個だけ。
はじめに(1)「冬の橋」。
この語を魅力的にさせる文とはなんぞ。
(2)「ケータイのあかりが一つ」
これはどうだろう。
 
ケータイのあかりが一つ冬の橋 坪内稔典
 
となる。

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