俳句の因数分解
俳句の因数分解というのを
思い付いたことがあった。
俳句の「575」は、(1)と(2)の
二つの要素に分けて捉えることができる、
という考え。
(1)は「題目」。
これは一般的な名詞が多い。
(動詞の連用形としての名詞も含む。)
(2)は、(1)を
「限定するフレーズ」。
この二つの要素が合わさることで、
お互いが相乗的に生き生きする
かけがえなのない組み合わせとなる。
各々だけでは、成り立たない。
例えばこんな句であればどうだろう。
紙風船三つ数えて飽きにけり 土肥あき子
題目として(1)紙風船。
これを限定するフレーズとしては、
(2)三つ数えて飽きにけり。
という具合に分けることができる。
*
サイダーの泡より淡き疲れかな 川上弘美
この句ならばこんなふうに。
(1)疲れ
(2)サイダーの泡より淡き
ただこれだけだと、だから何、
という感が強く、なんだか曖昧。
そんなときに坪内稔典の本を
読んでいると、こんな部分を見つけた。
—
「俳句は元々、言葉の戦いとして
始まった。俳句の祖である俳諧では、
たとえば『くろきものこそ三つならびけれ』
(黒いものがなんと三つ並んでいるよ)
という句に対して、
「なかに子が左みぎりはおやがらす」と
付けた。「みぎり」は右。
前句の謎を解いたようなこの付け合い
…(中略)が俳諧の原型であった。
俳諧ではいかにうまく謎を解くかを
競ったのだ。」
—
俳句というものの原型は、先の
(1)の題目に対する答えが
(2)の限定するフレーズである、
という「謎解きの構造」を
抱えていることが、改めてわかった。
「(1)題目」がより際立つための
フレーズとはなんだろう。という
謎解きの構造があるようだ。
そういう目でもうちょっと例を
見てみようと思う。
*
まず(1)「ぶらんこ」という題目。
これを限定するフレーズとして、
(2)「面識もなく隣り合う」を付けてみる。
これらをつなげると、
面識もなくぶらんこに隣り合う 土肥あき子
という一句として完成する。
*
最後に、もう一個だけ。
はじめに(1)「冬の橋」。
この語を魅力的にさせる文とはなんぞ。
(2)「ケータイのあかりが一つ」
これはどうだろう。
ケータイのあかりが一つ冬の橋 坪内稔典
となる。
2012/10/07