worksは8/24に更新しました.

〜を愛される

面白いことが書いてある本を見つけた。
ちゃんと調べると、勘違いだった、
ということがあるかもしれないので、
あえてちゃんと調べないまま書いてみます。
 
四方田犬彦「心ときめかす」というエッセイ集。
この序文にあたる文章がとても良いんだけど、
そこに、イタリア語には「愛される」という
単語が他動詞として存在するのだと書いてある。
 
他動詞というのは、「誰々を〜する」という
〜に当てはまる動詞のことをいうもので、
自分が誰かに能動的な動きをするということ。
 
たとえば、
「花瓶が落ちて…」という言い方だと、
自分に責任はないようにとれる。
地震とか、なにかの拍子に落ちて、
という意味合いになる。
これが自動詞。
 
ところが、
「花瓶を落として…」というと、
自分に過失があるような言い方になる。
自分がやった、という能動的な働きを
させるのが他動詞。
 

 
イタリア語の話に戻るけど、
「愛される」という受動のことばが、
能動的な動作として語られている
ということになる。
 
そうすると、こんな文章になる。
「わたしはこの絵を愛されている。」
うーん、ちょっと分かりにくい。
「この絵はわたしによって愛された。」
と言い替えることもできるかもしれない。
 
それは「わたしはこの絵を愛している。」
という言い方とはちがう。
 
どこがちがうのか、というと、
主語がちがう。
前者では、「絵」に主語があるし、
後者は、「わたし」が主語になる。
 
「愛しているわたし」が上位に
きているような言い方よりも、
「愛されている絵」が上位にきている方が、
絵に取り込まれてしまったわたし、
という感を強く言いあてていると思う。
 
「たちまちのうちに魅惑の囚としてしまう
偶然にして魔術的ななにものか」(以上引用)
が感じられるのだと思う。
 
目の前のものが、
いきなり自分の前にあらわれて、僕は
あっというまにその囚にされている。
強烈なときめきを
感じた時にそういう言い方の方がいい。
 

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