かおの逆さはおか
単語って変だなあと思います。
たとえば「すわる」という言葉があって、
それは動作だけを示しています。
誰が、どこで、いつ、とか、そういう
余計なものがなくて、
純粋に「すわる」ってものしかない。
でも、これを絵で表そうとすると、
人なんかが出てきて、
椅子かなにかにすわっている絵に
なります。
「たのしい」とか「かなしい」も
同じように、言葉でなら、
それ単体でも伝わるのに、
絵にするとなると、
その感情を表す人やら状況も
一緒に描かないと伝わらない。
要するに、単語には、読んだ人が
その単語に関連するいくつもの情報を
頭の中で補完させ
自動的に引き寄せる性質が
あるんだと思います。
「目」といっても、
頭の中で思い浮かべると、
だれかの顔があって、そこに目がある、
と想像してしまう。
顔といっても、なんとなく、
人間の胴体にくっついてる状態の
(つまり自然な状態の)顔を
思い浮かべます。
*
さて、ここからが本題です。
もしも、言葉の内容を
ダイレクトに絵にしたら、と
考えてみます。
目だったら、目だけ、ぽつんと描く。
髪の毛だったら、かつらみたいに、
髪のとこだけ描く。みたいな。
ちょっとシュールですよね。
そういうふうにして、絵を言葉に
即してそのまま描いてみるというやり方で
作られるあそびがありました。
それが判じ絵です。
ちょっとここを見てみて下さい。
ある単語をぶつぶつにちょん切って、
その同音語をむりやり絵に描いて、
「これはなんと読むか」と当てるなぞなぞです。
面白いのは、ことばをそのまま絵に
適応させているところ。
だから不自然に切りとられて、
奇妙な世界観が生まれています。
ちなみに、今日描いた絵も判じ絵。
逆さまの顔を持っているから
「おかもち」。
2014/03/15