worksは8/24に更新しました.

自由な舌

信号待ちをしていると、
横にいた小さな女の子が突然
しゃべりはじめた。
 
なんだか分からない、
もはや日本語ではない声で
「をうをう、けしょけしょ、
れりゅれりゅ…」
その他、表記不能な声を
まくしたてている。
 
隣のお母さんは、
ちょっとこんなところで、
という困った顔。
 
女の子はおかまいなしで
半分踊るように、
狂ったように
しゃべりつづける。
 
大尉の子098
 
そのときに、
多和田葉子の「エクソフォニー」に
書いてあったことを思い出した。
 
赤ちゃんが母国語の習得をする
ということは、
あらゆる語を話す「潜在能力」を
一つだけ残して、
すべて破壊するということ。
 

 
うーん、あの女の子は、
まだ他の潜在能力が
多く残っていたのかもしれないな。
 
ふだんの日本語会話の中で
規制されてきた「舌のうごき」を、
一気に解放したのだ、と思う。
 
「一つの意味を形成できないままに
自由を求めて踊りまくる舌、
そんな舌へのあこがれが
わたしの中にも潜んでいる。」
 
と多和田葉子は書いている。
読んでいて、
ぼくも同じような気持ちになった。
 
でも、これだけだと
誰にも理解してもらえないことに
なってしまう。
 
意味の規制から解放し
自由を求めながらも、
どの部分で人の感覚理解と
繋がることができようか。
 
このあたりが非常に難関なのだと
思います。
 

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