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いのちの場所vol.1(神社をつくるきもち篇)

ぼくの地元の小平市は、江戸時代
玉川上水という川の開通にともなって
発展した新田村落であったそうだ。
(新田村落とは、読んで字のごとし。
それとなく察してみてください。)
 
その時代の面影を
今もなお残している公園がある。
 
小平ふるさと村」という場所で、
江戸から明治にかけての建物が
移築されて一画にまとめられている。
そこだけタイムスリップしたような空間。
何度行っても興奮する。
 
昔の家の中は、こんな陽が照っている
昼間なのに真っ暗なのか。とか、
(外が明るいから余計にそう感じるのか)
古民家といえば畳、
しかし当時の普通の民家に畳はない。
土みたいな地面にもさもさワラを縒って
作った敷物をしいただけ、とか。
 
室内で火を焚くので、きっと体中が
煙臭かったろう、とか。
 
そんな昔の日常を想像して、
恐ろしくも、興味深く観察する。
 

 
当時の村の配置図をもとに作られた
模型があった。
 
水道も電気もないから、川は全て
各々の家の前まで引かれている。
水車、畑には欠かせない、
川はまさに生命線。
 
現在だったら水道、電気、野菜って
どこからやってくるのか
実感のよく湧かないまま使っているが、
当時を考えると、
水は人力で作った水路から、
穀物を挽く動力は水車から、
野菜や食べ物は自ら作るか、自然から
採ってくる…という生活では、
直接自然と繋がっている実感が
あったに違いない。(当然か)
 
これは今と昔との大きな違いだと思う。
 

 
さて、その村のちょうど中心であり、
入り口付近でもある場所に、
ひときわ大きな建物があった。
 
神社である。
ぼくの感覚だと、神社って、生まれた時から
そこにあるもので、
どうしてそこにあるかなんて、
考えたこともない。
 
新しく村を作るにあたって、
どうして神社なんか建てようという
気分が湧いたのだろう。
 
前置きが長くなりすぎたので、
詳しくは次回。
 
「いのちの場所」というキーワードが
当てはまるのだとぼくは思う。
これは宗教思想というよりも、
れっきとした、学問として語られている
ものだという。
 
学者である清水博『コペルニクスの鏡』
という児童向けの読み物に
「いのちの場所」というワードが出てくる。
 
なんとなく大事なことに思えるので、
また次回。

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