ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

あるのに見てない、ないのに見てる。

いまやニュースで世界中の様子が
伺える。
インターネットでも、テレビでも、
「つながっている」という感覚が
普通だな、と思う。

グーグルマップがあれば
世界の町歩きがバーチャルで
体験できるくらいだし。

でも、ときおーり!
こんな国名を目にすると、
あ、こんな国もそういば…と。
東ティモールとか、アンゴラ、キルギス
コソボ、サモア、ツバル。

子どもの頃にちょっとだけ
あそんだことがある友達に思えて、
いま何してるんだろう?と
思うような気持ちで、調べてみる。

そっか、改めてみると
世界には日本が認める国は196。
(日本を含む)
他にどんな国があるんだっけ?
と気になって調べてみると、
シーランド公国とか、ガボン
マルタ共和国、ジブチ、ニウエ、
ブルキナファソ、
アンティグア・バーブーダ
セントクリストファー・ネイビス
初耳な国の名前が次々と出てくる。

これは一般常識のない
ぼく自身のせいなのかもしれないけど、
日常生活をする上で、いっさい
耳にも、目にも入ってこない。

なんというか、世界のことも
知っているつもり…と思っていた自分が、
浅はかに思えてくる。

お風呂に入って体を洗うとき、
ときどき、気合が入る時があって、
今日は徹底的に洗うぞと。(特に理由もなく)

わきというわきを、またというまたを、
背面も、鏡で頑張って眺めながら
ごしごしこする。

すると、おや、と思う。

自分のおしりって、こんなんだっけ?
あれ、肋骨の左下のくぼみって、
こんなかんじだったか?
膝のうらとか、ひさしぶりに
眺めたなあ。
足の爪、切っていないなあ。
おお、肩のうら、
最近筋トレしているから、
少したくましくなったか。
ん、こんなところにほくろが
あったかな…

などなど、久しぶりに会う
親戚みたいな気分で
自分のからだと再開を果たす。

自分の体って、
ほんとによくみてないんだなあ。
まるで、自分の体のなかの
東ティモールやキルギスのようだと思う。

一方で、
いま、自分がどんな気持ちか、
気分は、考えていることは、
人にたいして、どういう心もちを
感じているか、
テレビや、パソコン、スマホの
画面ごしに、なにを受け取って、
なにを思うのか。

そういうことには、
とても敏感になっていると思う。
気持ちの定期点検もよくするし。

つまり、振り返ると
心、感情、気持ち、そのあたりを
中心に生きているという気がする。

体のことは、
肩が痛いだとか、だるい、頭痛、
ケガが痛むとか、
表だったことがなければ、
基本的に見ていない。

もっというなら、
ご飯を食べたあと、
その食べたものが
体の中でどうなって、
だれがどうやって消化しているのか、
そんなことも分からない。

血液が巡ったり、
脳内からの分泌物とかDNAとか、
自分であって、まったく自分とは
切り離されているような
感じもある。

どうして、目に見えないはずの
心、気持ち、感情にばかり
注目して、自分の体については、
知らないでいられるんだろう。

前回も書いたけど、
心は、脳の電気信号であって、
ほとんど錯視に近い現象。
ほとんどまぼろし。

そんなまぼろしの方を
リアルだと感じて、
実際に働いている体や内臓のことは
ないように思っている。

なんか、逆転してるなーと
思う。

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