worksは8/24に更新しました.

台詞の必然性?

本を読んでいると、
ついうっかりいろんなものを
見逃してしまうことが多い。
 
物語が進行していく中で、
大小関わらず、転機が訪れることがある。
ごく日常的にスムーズに進んでいれば
そんなこと考えもしなかったことが
物語としてうまいこと転調する。
 
でも、どうしてそんなことが
起こったのか、本を読んでいる時は
考えもしない。
 
たとえば「飛ぶ教室」のことをいうと、
子ども達が奪われた校旗とノートを
取り戻すために、
相手の陣地に乱闘をしかけにいく。
 
にげろ296
 
さあいくぞってときに、後ろから
禁煙さんという賢者(味方の大人)が
助言を与える。
 
大勢で戦っては、
双方の学校から罰が下されることになる
事を大きくする必要はないじゃない、
一対一でやりなさい。
という建設的なアドバイス。
 
たぶん、これは後で重要なシーンとなる
クリスマスパーティを
学校の罰則によって中止されないための
ケストナー(著者)のはからいだと思う。
(まだ全部読んでないけど。)
 

 
このように
物語の出来事は、前後の因果関係が
ちゃんと連結するように、
あえてそう書かれている。
 
こういう意識を、読んでいる時に
ぽかーんと抜かしてしまう。
 
台詞ひとつとっても、
なんでこのタイミングでこの人は
こんなことを言ったのだろう。
自分だったら言うだろうか。
そう書くだろうか。
 
などと本来なら気にする点は
いっぱいあるのに、
そうしないで、身をゆだねてしまう。
 
そういうのもいいけれど、
ぼくが本を読むときは、
大体、本が先生であって欲しいと望む。
 
とすれば、もっと素朴な疑問をもって
読みたいものだと思う。
 
でなきゃいつまで経っても、
物語の秘密を解き明かせないまま、
知らないあいだに面白さだけを
受け身してしまう。

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