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風変わりな自分の発見

書くことが好き。

しゃべるのも、嫌いではないけれど
上手じゃないから、
どちらかというと、誰かと話す時より、
一人言の方が好きかもしれない。

そうそう、書くというのも、一人。
相手のいる手紙だとしても、
書くのなら、それは
最初から最後までずっと自分のターンだし。

自分で問いかけ、自分で答える。

自分の思うペースで、
馳せたい思いを、
自在にふくらませることができる。

こないだ「アンネ・フランク」の写真物語を
読んだのですが、
あのアンネの日記に
最初に書かれた文章をご存知でしょうか?

13歳の誕生日にもらった日記帳に
アンネはまず名前を付ける。「キティ」って。

「あなたになら、
これまでだれにも話せなかったこと、
どんなことでも、打ち明けられるでしょうね。
私の大きな支えになってくださいね。」

だれにも打ち明けられないきもちを
素直に開け放つには、やはり「書く」のがいい。

他人に向けて「書く」以外にも
自分だけに向き合うから書けること、もある。

書く、というのは
不思議なもので。

書く前も後も、ずっと
同じ自分であるのにもかかわらず、
書いた後は、
ちょっとだけ違う自分になっている。

書くから、気が付くこと、
書くから、思うこと、
書くから、ふっきれること。

自分でも知らずに抱えていた気持ちに
気が付かせてくれる。

詩人でエッセイストの荒川洋治は
ぼくの大好きな作家の一人で、
「日記をつける」(岩波現代文庫)では
日記を書くことについてこんなふうに
説明してくれる。

「日記は、リラックスしている状態で
書くので「とても楽しかった」
「たいへんおいしかった」などが
どうしても多くなる。
どんなふうに楽しかったか、
おいしかったかを書く必要はない。
気持ちさえあらわれれば、厳密でなくていい。
おおざっぱでいい。
そのほうが書いているときの疲れが
とれるのである。」

つまり、書く時間って、
自分の気持ちを確認するための時間と
同じなんじゃないかな。

誰の、なんのためでもなく、
ただ、自分が自分のために作る余裕
みたいなもの。

コピーライターの安藤隆
(サントリーウーロン茶のコピーで有名な)が
「悲しい時に、「悲しい」と書くと
それだけで、息を継げる。」
という名言がずっと心のなかに残っているけど
そういうかんじ。

書く楽しみというのは、まだあって。

「翻訳できない世界のことば」という絵本の
著者のエラ・フランシス・サンダースの日記
おもしろい。

イラストレーターという肩書きだけど、
圧倒的に詩人なんです。

日記はすべて英語なので、
ぼくはGoogle翻訳で日本語に自動翻訳したものを
読んだんだけど、
言葉の選び方でイメージを遊ばせているところが
とってもくすぐられるんです。

書きかけの手帳のことを
「ペンとインクでキスをするのを待っている白いページ」
と言ってみたり、

飲み終えたコーヒーカップをみれば
「内側にのこった模様に幽霊をみたり、
まだ描いたことがない文字や
歩いたことのない風景をみたりする」
なんていう表現をする。

自分の中の語感の美的センスを大切にしながら、
文章を紡いでいる感じがいい。

ぼくも、やや語感フェチなところがあるので、
とても共感できるし、
自分もそのような感覚で文章を書いてみたいと
思えてならない。

そんなふうにして
書く前の自分とは違う、
自分のなかの風変わりな自分を発見できたら、
この上ない。

だから書くのは好き。

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