風変わりな自分の発見
書くことが好き。
しゃべるのも、嫌いではないけれど
上手じゃないから、
どちらかというと、誰かと話す時より、
一人言の方が好きかもしれない。
そうそう、書くというのも、一人。
相手のいる手紙だとしても、
書くのなら、それは
最初から最後までずっと自分のターンだし。
自分で問いかけ、自分で答える。
自分の思うペースで、
馳せたい思いを、
自在にふくらませることができる。
*
こないだ「アンネ・フランク」の写真物語を
読んだのですが、
あのアンネの日記に
最初に書かれた文章をご存知でしょうか?
13歳の誕生日にもらった日記帳に
アンネはまず名前を付ける。「キティ」って。
「あなたになら、
これまでだれにも話せなかったこと、
どんなことでも、打ち明けられるでしょうね。
私の大きな支えになってくださいね。」
だれにも打ち明けられないきもちを
素直に開け放つには、やはり「書く」のがいい。
他人に向けて「書く」以外にも
自分だけに向き合うから書けること、もある。
*
書く、というのは
不思議なもので。
書く前も後も、ずっと
同じ自分であるのにもかかわらず、
書いた後は、
ちょっとだけ違う自分になっている。
書くから、気が付くこと、
書くから、思うこと、
書くから、ふっきれること。
自分でも知らずに抱えていた気持ちに
気が付かせてくれる。
詩人でエッセイストの荒川洋治は
ぼくの大好きな作家の一人で、
「日記をつける」(岩波現代文庫)では
日記を書くことについてこんなふうに
説明してくれる。
「日記は、リラックスしている状態で
書くので「とても楽しかった」
「たいへんおいしかった」などが
どうしても多くなる。
どんなふうに楽しかったか、
おいしかったかを書く必要はない。
気持ちさえあらわれれば、厳密でなくていい。
おおざっぱでいい。
そのほうが書いているときの疲れが
とれるのである。」
*
つまり、書く時間って、
自分の気持ちを確認するための時間と
同じなんじゃないかな。
誰の、なんのためでもなく、
ただ、自分が自分のために作る余裕
みたいなもの。
コピーライターの安藤隆
(サントリーウーロン茶のコピーで有名な)が
「悲しい時に、「悲しい」と書くと
それだけで、息を継げる。」
という名言がずっと心のなかに残っているけど
そういうかんじ。
*
書く楽しみというのは、まだあって。
「翻訳できない世界のことば」という絵本の
著者のエラ・フランシス・サンダースの日記が
おもしろい。
イラストレーターという肩書きだけど、
圧倒的に詩人なんです。
日記はすべて英語なので、
ぼくはGoogle翻訳で日本語に自動翻訳したものを
読んだんだけど、
言葉の選び方でイメージを遊ばせているところが
とってもくすぐられるんです。
書きかけの手帳のことを
「ペンとインクでキスをするのを待っている白いページ」
と言ってみたり、
飲み終えたコーヒーカップをみれば
「内側にのこった模様に幽霊をみたり、
まだ描いたことがない文字や
歩いたことのない風景をみたりする」
なんていう表現をする。
自分の中の語感の美的センスを大切にしながら、
文章を紡いでいる感じがいい。
ぼくも、やや語感フェチなところがあるので、
とても共感できるし、
自分もそのような感覚で文章を書いてみたいと
思えてならない。
*
そんなふうにして
書く前の自分とは違う、
自分のなかの風変わりな自分を発見できたら、
この上ない。
だから書くのは好き。
2021/03/17