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なんでもないことの可能性

ノーベル賞というのが、どことなく遠い
存在のような気がする。
たとえば、ノーベル文学賞とか、
自分の人生に関わるなどとはとうてい思えない。
 
日本人作家が受賞すれば、話は別だけど、
海外のノーベル文学賞作家なんて、
知る由もないし、興味もわかないだろう。
それは、自分には届かないものとして
もっと知的で、高度で、非生活圏での
出来事のように思えるから。
 
しかし、そんなことはない。
ごく日常のことを語り、可愛らしく、
日頃隠され、埋もれているわたしたちの
前向きな可能性に気付かせてくれる、
そんな詩がある。
ポーランドのノーベル文学賞作家。
詩人のヴィスワヴァ・シンボルスカ。
 
詩集「橋の上の人たち」工藤幸雄訳には
彼女の顔写真が掲載されている。
 
物語に出てきそうな、聡明で優しい顔をした
おばあちゃん。それだけでも、
もう好きになる。
このおばあちゃんが、
こんなことを書いている。
「可能性」というタイトルの一遍。
 

 
「映画のほうが好き
猫のほうが好き
ヴァルタ河畔の柏のほうが好き
ディケンズがドストイェフスキイより好き
自分なら人好きでいたい
人類愛に燃えるよりは。
用心に針と糸を持ち歩くほうが好き
色は緑のほうが好き…」
 
清少納言の枕草子「春はあけぼの〜」に
そっくりで、ひたすら好きなものを
あげていく。
あ、難しくない、と思う。
僕もだ、とか、僕だったら〜とか思う。
 

 
「例外のほうが好き
外出は早めのほうが好き

恋愛で好きなのは何周年と割り切れない
記念日、毎日するお祝い
モラリストなら
どんな約束もしない人がよく
好意なら抜け目なしが隙だらけより好む
大地は普段着の姿が好き
亡国のほうが滅ぼそうとする国より好き
留保するほうを好み

訊ねないほうが好き、
この先まだどのくらい、いつなどと。
生きることにはそれなりの理由があると
その可能性なりと気に留めるほうが好き」
 
僕たちはあらゆる場面で、端的で、
はっきりとした意見をいつも求められる。
自己紹介するときも、何か意見を述べるときも
事務的な書類に記載するときも、
自分というフレームをできるだけ
短い言葉に収斂させることが適当だとする。
 
考えはいつもシンプルであるべきだと。
 
けれど、そう考えることで、
取りこぼしているはずのものごとを
「ないようなもの」だと、どこかで
割り切ってしまっているのではないか。
 
ヴィスワヴァ・シンボルスカは、
それらこぼれてしまった小さな事実、
小さな興味、とるに足らない出来事を
丁寧に拾い集め愛でているように思える。
 
それで、気がつく。
なんでもないようなことが、
本当は一番自分らしいことだったり
するのかもしれないなあっと。

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