間接的な会話法
今住んでいるところは、
まあまあ築年数を
重ねているアパート。
だけど、
リノベーションしたばかり
とのことで、外観内装ともに
新しくて素朴な風合いがあった。
引っ越したてのときは
「壁の厚さ」や「密閉性」は
けっこう丈夫なんじゃないか
と思わせる見た目だった、
という覚えがある。
つまり、
ある程度、防音なのではないかと。
というわけで、
大きめのアンプとスピーカーを
持ち込んで、
音楽をかけて楽しんでいた。
…
数日後、
同じアパートの一室を
飲食店にしてるお店で
ごはんでも、と、
大家さんからお誘いを受けた。
食べながら話していると
「きみ、音楽好きでしょ?」
とさりげなしに言われた。
ん?
なぜ、そう思ったのだろう。
と考えて、はっとした。
音楽好きと言われる
↓
ぼくが音楽を聴いていることを
知っている
↓
ぼくの部屋で流れている音楽が
外に聞こえている
↓
このアパートの壁は
想像以上に薄い
&
ぼくの出している音がでかい
↓
近所迷惑!
冷や汗をかきながら
「あー、すみません。
音、気を付けます。」
と苦笑すると
「いや、いいんだけどねえ」
とにこやかに笑ってくれた。
それ以来アンプとスピーカーを
撤退させたのだが、
おとなになると、何を伝える際に、
間接的な表現をつかったりする。
*
似た話では、
桂米朝の「京の茶漬け」がある。
客先での帰り際、
「あの、何もおへんのどすけど、
ちょっとお茶漬けでも」
と引き留められる。
もう靴を履こうとする
タイミングで、
「ちょっと茶漬けでも…」と。
気分的なもので例えると、
「笑っていいとも」の
テレフォンショッキングで
次のお友達の紹介をする際に
「えー」というお客さんの
残念がる様子のような。
そんな意を表したいのだろう。
それは本心でなくとも、
形式的に相手に失礼のないように
しておきたいという礼儀の
つもりなんだろうから、
「そんならもうちょっと」
と長居でもすると、
向こうも迷惑な話になる。
*
話は変わって…
子ども向けになにか作るときに、
子どもは、ことばをどういうふうに
理解していくんだろう、
って気になって
「ちいさい言語学者の冒険」
(岩波科学ライブラリー)
広瀬友紀(著)
を読んでみた。
第6章「子どもには通用しないのだ」
が特に面白かったんだけど、
言葉は文字のままの意味通り
だけでなくて、
状況が意味の運命を左右する
大事な要素なのだということ。
具体例はないけど、
状況によって、
ことばがどんな意味に変わるのか、
というあそびを考えてみたい。
2018/11/15