語感のあるシーン
まだあんまりうまく言えないことを
書こうと思います。
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小説を原作とした映画を観た時、
映画の方が面白いか、
小説の方が面白いか、
などと言われることがあります。
当たり前だけど、文と映像だと
手段が異なるので感じも変わる。
映画は時間的な制限があるし、
どうしてもすべてを描ききれない
ということを差し引いても、
やっぱりどこか映像と小説には
明らかな違いがあるように思う。
映像で伝えられること、
文章で言えること、
というのは共通点はありながらも
互いに別個のベクトルをもつ、
という気がしています。
それはなんだろう。
たとえば、それは語感。
「五月雨」という言葉を
映像的に表現する時には、
どういうシーンにするんだろう。
「霧に近い雨」を降らせるのかもしれない。
でも、そうすると「五月雨」という
字面から浮かび上がる独特の感覚は
消えてしまう。
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牛乳の写真をみるのと、
「ミルク」という単語を目にするのも
また違う感覚。
「果実のように甘いミルク」と
言う時には、これは映像では
表現しきれないのではないか。
生理的な言葉の感覚は
映像とは全く無関係な表現手段として
独立しているように思います。
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言葉にしか感じられない語感、
映像でしか伝わらないシーン
というものを、
一体化させて表現として定着できたら
面白そうだな、と考えています。
次のトップページに、と思っています。
もうすぐ。
2013/04/18