語彙なき宿命
枕草子を読むと、
現代でも共感できる出来事とともに
当時ならではの風習もよみとれる。
その一つに女子のたしなみについて、
書かれているところがある。
古今和歌集をどれだけ多く
そらんじることができるか、
これが当時の女子のステータスで
あったそうな。
ある春の日、
お偉方が何人か集まった部屋で
帝(一番偉い人)が、女子全員に
なんでもいいから一つ歌を
書いてみなさい、という。
これはとんだサプライズ。
抜き打ちテストというべきか。
ま、まじ~状態の女子どもに
追い打ちをかけて帝はこう言う
「いや、あのね、下手でもなんでも
いいんだからさ、ほらとりあえず」
なんでもいいわけがない。
どんな歌を選ぶか、そのセンスを
試しているんだから。
一同ひやひやのたじたじだ。
そういうとき、普段は
きれいな字を書くのに、書き損じる
情けないのがいる一方、
恋の歌を、帝を慕う風に替え歌して
「ぼくはね、そういう機転の利いた
心意気を期待していたんだよね」
と上手く褒められる人もいる。
自分だったら確実に前者だ。
*
さて、ここは現代の中央線。
となりに私立の小学生(女子)が
2人ならんでおしゃべりしていた。
クラス委員をだれに決めるか、という話。
背の高い子が
「和泉さんは?ほら、だって
文字書かせると上手だし、
テストだっていいでしょ?
和泉さんだよ、ね?」
さながら「奥様」のトーンだ。
もう一方背の低い子は
「あ、うん、うん、」などと
もごもご言うばかり。
次の話題はマラソン大会
「しいちゃん(背の低い子)は三位で
わたしが四位だったよね。
でもね、走る前って、ちゃんと
体を暖めておかないと、動かないでしょ?
わたしね、準備体操だけで、
体を暖めておかなかったのよね。」
「う、うんうん」
さらに話題はドッヂボールへ。
「い、いっちゃん(背の高い子)って
ドッヂボール強いよね」
「そう、あたしね、投げるのは
自信あるんだ。休みの日にパパと
良くキャッチボールするの。公園で。
だからね、投げるのは得意なんだ。」
「ふ、ふーん、そうなんだ。」
といって、しいちゃんは
急に手持無沙汰に感じられ、
背伸びしてつり革につかまり
ぶらぶらっと、なにかを
取り繕っている様子だ。
しいちゃんという子は、
おしゃべりにおいて圧倒されている。
たじたじのひやひやだ。
一方いっちゃんは、思ったことと
その理由をすらすらっと
言えるだけの語彙がある。
平安時代において、古今集の知識が
ものをいうように、
現代でも、しゃべりの語彙が
ものをいうことがある。
ぼくもしいちゃんと同じように
語彙のない人間なので、
あらゆる場面でたじたじするし
本当のことを言っているのに、
嘘を言っているような言い方に
なぜかなってしまうことさえある。
しいちゃんが、今後活き活きと
活躍できる場所を
見つけられますようにと、
目をとじる。
…余計なお世話かもしれない。
2017/12/25