詩を書きましょう
「チャボとけやきと泰山木」 (けやき出版)
(田中恭子著)
という本と出会った。
なにかというと、児童詩の本。
もっとかみ砕くと、
小学生が書いた詩を集めた本。
もともと、著者の師で、詩人の
吉田瑞穂(1898-1996)が
児童詩の教育活動をしていたのが、
もとらしい。
それを受け継いだ本。
まず、読み始めて驚くのが、
著者は小学校の校長先生なんだけど、
全校生徒に「詩を書きましょう」と
宣言をした。
えーそんなことできるんだ、
と思ったけど、なんと2年弱で
約5000もの詩が集まったのだという。
全校生徒533人で。
*
でもなー、
詩は読むものであって、
自分で書くものっていう感じがしない。
詩を書いてください、
といわれて、素直に詩を書く、
のむずかしい。
そもそも、詩ってなんだっけ?
と思うんだけど、そこで、
田中先生は、こんな用紙を用意した。
「詩を書きましょう」
〇だれかにはなしをするように
〇ひとりごとをいうように
〇ざいりょうは、なんでもいいのです
〇よく見たこと、きいたこと、
さわってみたこと、においなど
〇うれしいこと、かなしいこと、
くやしいことなど
*
詩を書くことが、端的に
どういうことかというと、
「感じたことを把握する力」だと
吉田瑞穂氏は言っていたらしい。
なんと分かりやすい。
こう言われれば、なんでもいいんだな、
って思える。
要するに、
一日過ごしていて、
「あ、これは」と感じることは
よっぽどぼんやりしていなければ、
必ず一回くらいはあって、
それがなにか把握しておく、
ということ。
それが、窓の外から聞こえてくる
かっこうの声がきれいだな、とか
家の中で一番風通しのいい場所は
ここだな、とか、なんでもいい。
*
なにかをみて、なにかを感じる、
っていうのは、
他でもなく自分にしかできない。
これを読んでいるあなたの
感じていることを、
ぼくが同じように受信することは
できない。
昨日紹介した「脳のなかの幽霊」
じゃないけど…
詩は、心霊写真みたいなもんだな。
実際には、なんの変哲も
ないはずなのに、
その人がそう感じると主張すると、
あたかも、そういうものが
あるような気がしてくる。
*
本来、詩や俳句って、
技術や知識や、経験がものをいう。
でもここでは、
そういう技巧的な良い悪い、
ではなく、
その時、その場で感じた、
ちいさな感動を大切にする。
上手くなくていいなら、楽だなあ。
そういう意味では、
この作文も把握力のための詩なのかな。
詩だなんて、一ミリも
考えたことなかったけど、
詩を書こうと思ったら、
また別の書き方になるんだろうか?
2019/06/26