言葉が持つ実用性について1
実用的か、実用的ではないか、
ということを考える。
常々、思っているのは
「自分がなにか作るなら
実用的な方がいいな。」
と。
しかし、
実用的とはいったい
どういうことを言うのだろう。
それも言葉を使った表現で。
もう少し、今回に合わせて
具体的に言うなら、
今、読んでいるこの文章が
作文を読んだ人にとって
実用的であるかどうか。
今回問題にしたいのは、
言葉を使って書いた内容が、
実用的かそうでないか、を
考えてみたい。
*
簡単に紹介すると、
実用的ではないものの代表に
回文のような言葉あそびがある。
「ねつきいいきつね」なんて聞いても
…で?ってなる。
これだけでは役に立たない。
一人で面白がれればいいんだけど、
個人的にはもっと実用性が欲しい。
一方で、メッセージカードや
おみくじなんかは、
これは実は、使う人、引いた人にとって
言葉は役に立っている。
*
実用的でない例をもう少し。
言葉の研究は、なかなか無用のものが
少なくない。
たとえば、~テイル形についての考察。
「雨が降る」という文。
これは雨が降っている状況のことをさす。
でも、窓の外をみながら言う
「雨が降る」は雨が降っていない
ように伝わる。
まだ降っていないが、
これから来るんじゃないか、
つまり未来に対する予想になる。
今を示す場合は、
「~ている」の進行形になるので、
今、降っているという表現になる。
という。
こういう分析って、
日本人である僕らには
研究者ではない限りは全く無用。
だって、そんなこと
言われなくてもわかる。
こういうのを実用的ではない。
とぼくは思う。
…で?と思う。
*
今度は実用的な例。
言い切り型についての研究。
会話の中で、
それだけで事足りる返答なのに
終助詞(~ね、~よ。~けど。)などをつけると
不自然に聞こえてしまう。
というか、あるニュアンスが
余計に伝わってしまう。
という研究がある。
「洗濯物たたんどいて」
「わかった/はーい」
は言い切り型。
素直な感じ。
「洗濯物たたんどいて」
「わかったよ/はいよ」
は終助詞をつけたもの。
ちょっとテキトーな、面倒な印象が
付与される。
仕事を頼まれて面倒に思っても、
相手に気を使わすまいと思うなら
終助詞はつけない方がいいかもしれない。
「そんなつもりはない」
にかかわらず、言葉の効果は
無情にも伝わってしまう。
そういえば、小沢健二の
「さよならなんて云えないよ」にも
「オッケーよ、なんて強がりばかりを…」
という歌詞が出てくる。
「オッケー」に「よ」をつけると、
素直に平気だよと言っているよりは、
やっぱり「強がりの」オッケーに
聞こえてしまう。
これは、簡単な会話術として
やや実用的にも思える。
*
他にも、実用的な
「ターン交替」について、
ルイス・キャロルに見られる
「ナンセンス」の実用性について、
「新規性のあることばあそび」とは
実用性だ、
という内容を書きたいけど、
一気に書くともったいないので、
明日に書きます。
2018/05/20