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本を書くという実感

大昔、1400年ころというと、
日本でいう室町時代。
 
想像もつかないくらい昔だけど、
当時、本は非常に貴重なものだった。
個人で所有できるものではなかった、
といわれるほど。
 
ヨーロッパでいえば、
教会の僧が手書きで一文字づつ
複写していくという、途方も無い行程で
作られていたようだ。
 
神父が登壇する机の上に
うやうやしく一冊の聖書がおいてある。
そんなかんじ。
社会からの強い要望がないと、
本は手に入らなかったという。
 
1400年代以降に、
グーテンベルクという人が活版印刷を
開発して以後、一気に本が手に入り易い
ものとなったようだ。
 
そのときグーテンベルクは、
ある予言をのこしている。
 
「価値の無い本がたくさん
出回ってしまうのではないか」
 
そのために活版技術が普及するのを
不安にすら思っていたといわれる。
 
今はどうだろう。
やっぱり本一冊一冊の大切さは、
変化していると思う。
大袈裟にいえば、大型書店にある本の
99%が興味のない本だし。
 
作る側に視点をうつしても、
とにかく「作る」ということばかりを
目の当たりにしがちで、
それが、今どんな意味で、だれにとっての
効能となるのか、という実感は伴いにくい。
 
テクニックよりも前に、書く前の
実感がないと、なにもはじまらない。
矛先を見つけるということ自体が、
やや分かりにくい気がする。
 

 
活版技術の以前を考えてみると、
本を一冊作るのに、相当の意味と
必要性が激重(げきおも)で
求められていたのだ、ということは
容易に想像できる。
 
しかし、現在でも印象強くこころに届く
本は確実にある。
出会えてよかったと思える本がいい。
 
そのために、今どうしてそんな本が
必要になるのか、意味があるのか、
というところから考えはじめたい。
使命的な実感を得てみたい。
 

 
さて、自分は、と考えると
なかなかむずかしい。
 
むずかしいがおもしろい。
少しずつ、気もちがもたげてくる。
 
まだ頭のなかでややこしいけれど、
できるだけ簡単な文章で
明日からここで書いてみたい。

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