見たいことば
そもそも占いを信じてしまう人間なので、
辞書占いで「節制」ということばを見たとき、
「ジュースや菓子を飲み食いする事なかれ」
と言われたような気がして、
それを素直に実行してしまう。
未開封のかりんとうの袋をにぎりながら
「食べたいよう、おじさん。」と
許しを請うのだが、
雲の上の方にいるおじさんは、
やれやれと首をふる。そして、
「おまえの意地とはそんなものか」
とぼくを挑発する。
ムっとなって、くそ、なんだいこれくらい。
と、かりんとうを棚の奥に戻し
かわりに爪楊枝をくわえる。
爪楊枝をかみかみしていると、
ちょうどかりんとうを噛むのと
同じ運動量をあごに与えることができる。
これをしていると、かりんとう欲も
抑えることができるし、まるで、
火をつけない煙草をくわえながら
絵コンテをひたすら描いている宮崎駿に
なったような気分になれる。
かっこいい。
そもそも、お菓子を食べ過ぎて
お腹を下すことが多かったじぶんには、
これはとても良いことだった。
*
占いをしたい、という衝動は、
無意識のうちに「見たいな」と思っている
言葉をじぶんのなかに持っている証拠、
なのだと思う。
占いに頼る、とか、つい見てしまう、
というのは、知らないうちに
自分の欲しがっている「ことば」を
探しているということなんだろう。
今度「身につけることば」というシリーズを
作ろうとしている。
ことばあそびや、ことばのパズルみたいな
ものを、文字通り身に付ける形にする、
というもの。
これをうれしい占いみたいな内容にしたいと
企てています。
ああ、そうそう、こういうことばが
見たかったんだ、というもの。
そういうのって、あるんだよなあ、と思う。
2012/06/06