補集合の世界
朝起きて、ぼーっとしながら、
天井を眺めていることが
よくあります。
壁と天井の境目にある
木のふち(廻り縁というようです)を
じっと見てから、
少しだけ目を閉じて、
今度は白い壁をみつめると
さっきの廻り縁らしき影が
ぼんやりと残像となって見える。
錯視だ、と思う。
*
このときに思うのが、
自分は「自分の体」という性能でしか、
まわりを感じることができないんだなと。
そもそも、
自分が見ていると思っているものが
まるごと全て錯視だった、なんてことが
あるかもしれないし。ちょっと怖いけど。
*
人間って不思議で
錯視(や精神的な気持ち等も含む)のように
ないものをあるように見たり、
逆に、あるのに五感からシャットアウト
されていることもたくさんある。
人の性能では見ることができない
紫外線や赤外線、また通信電波が
目に見えたら
また世界は違った景色を
ぼくに与えてくれるんだろうな。
つまり、ぼくたちは
人間の性能の範囲内でしか
周りを見ることができないんだな、
ということ。
*
人が認識できるとか、
できないとかに関わらず、
存在するすべてのものを
客観的な「環境」という言い方をすれば
ぼくが五感で感じているのは、
その中のほんの一部分、
ということなんだろうなと思います。
*
さて、ここで、数学の話。
「全体集合」と「補集合」という
概念について。
ここに「1,2,3,4,5,6」
という数字が集まったパズルがあります。
6つの全てのピースがそろって、
完成した状態を「全体集合U」と
呼ぶことにします。
パズルの一部に、
「赤い絵」が描かれた箇所があります。
赤い絵の箇所には「1,3,5」という
3つのピースがはまっています。
なので、この赤い3つのピースを
「集合A」と呼ぶことにします。
それ以外の緑の部分は、
「絵が描いていないピース」とします。
*
赤い絵の「集合A」ピースだけでも
主役の絵は見えているので、
まあ、見れないことはないのですが、
完成とは言いがたい。
完成させるためには、
「絵が描いていないピース」で
余白を補完させる必要があります。
…ということで、
絵が描いていないピースのことを
「Aのための補集合」と呼ぶことにします。
ここでまとめると、
「全体集合U」は、
「集合A」と「Aの補集合」で
できている、ということになります。
以上、集合、補集合の説明でした。
*
この概念が、どんな公式とか計算方法に
用いられるのか、とか、
具体的にどういう場で実用されるか、
まったく理解していません。
だけど、この考え方は、
さっきの、
「客観的に見た環境」と、
「自分の体のスペック」と「それ以外」
の関係と一致するなと思ったんです。
*
世界のぜんぶ(客観的な環境)は、
私たちが感じている感覚の集合と、
それ以外の補集合でできている。
「それ以外の補集合」というのは、
人間には感じられないし、
みえないけど、そこにあるもの、
というモノや現象。
たとえば、
気圧とか、月や太陽からの重力とか、
紫外線、赤外線、電波、
地球の回転の速度とか、
自分の神経系や内臓の働きとか…
こういうものが、
人が認識している集合ではない
「補集合の世界」だと思っていまして。
そこに視点をあてると
まるで魔法のような現実離れした
イメージがひそんでいるような
気がしているんですよね。
2021/07/12