蛭子能収
ぼくはどういうわけか、昔から
クラシック音楽が好きで、
小学校の頃はブラームスや、
ヴィヴァルディを聞いていた。
超ど定番だけど。
学校の帰り道に、一人で頭の中で
オリジナルの曲をオーケストラで
鳴らしながら、ぼんやり歩いていたり、
母の誕生日に、自分が欲しいから、
という理由で吹奏楽のマーチングの
CDをプレゼントしたりしていた。
それで、4年生くらいから、
吹奏楽クラブに入ることに。
見学の時、高学年の演奏する
フォスターの(ケンタッキーの)曲に
鳥肌が立ったのを覚えている。
けれど、聞くのは好きでも、
練習はそんなに好きではなかった。
*
演奏会も間近になったある日、
顧問の先生が怒鳴った。
「このままじゃうまくいかないよ」と。
「このまま」というのは、
つまり、ぼくたちの態度のこと。
どこかで気の抜けたメンバーに
緊張感を与えたかったのだろう。
先生がぴしゃっと教室を出て行くと、
残ったぼくたちはうなだれ、
シーンとする。そのうち、
女子のすすり泣く声が聞こえる。
みんな真剣。決意を固めたように
リーダー的な女子が、立ち上がり
「わたし、先生のところにいって、
戻ってくるようにお願いしてくる」
と上ずった声をあげると、
数人の女子がわたしも、わたしも、
と名乗りを上げる。
こういう時、男子としては、
どうしていいか分からない。
みんながしゅんしゅん鼻をすする中
ただ、黙っていることが耐えられなくて、
つい、可笑しくなってしまう。
わらっちゃだめだ!と思うほど
「戻ってくるようにお願いしてくる」
という、さっきの演技がかった迫真さが、
逆にわらけてきて、肩が震える。
そうだ、これは泣いて震えていることに
すればいいと開き直り、
くっくっくとやる。
そのうちに、先生が戻ってきた。
教室は、女子たちが醸し出してくれた
シリアスな雰囲気で包まれ、
先生も「仕方ないわね」と
練習を再開してくれた。
*
後日、案の定、ばれてしまう。
「あのとき、笑っていた男子がいた」
どこからともなく噂がたって、
数日の間、ひやひやしたことを
ふと思い出した。
*
どうしてこの話を思い出したのか、
というと、テレビで蛭子能収を見たから。
なんだか変な人だなあ、
どうしてこの人がテレビなんかに
出ているんだろう。
という興味で、調べてみると、
彼もお葬式とか、シーンとしている
場所に居合わせると笑っちゃうらしい。
何か通じるところが
あったのかもしれない。
*
つい、人って、真面目な人に
合わせてしまう。
いや、合わせた方がいいんだけど。
合わせられない自分を
欠点として、反省して、矯正しよう
という気持ちになる。
いや、矯正した方がいいことも
あるんだけど。
そこを分かりながらも、
そういうことで形成される、
「自分は真面目で、できるやつで、
まあまあイケてる」というイメージが
ときどき過度に思えてくる。
蛭子さんを見ていると、
そんな過剰な自己イメージを
抑制してくれて、
間抜けでダメらしい自分を思い出し、
背を押してくれる気分になる。
蛭子能収 「ひとりぼっちを笑うな」(角川)
これは必読書だなー。
2019/06/10