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良い学びとは遊びに対する肯定感

これはけっこう秘密なんだけど、
昔から歌うのが好き。

カラオケは好きじゃないけど、
家でひとりで音楽を聴きながら、
歌うのは、よくします。

引っ越す前の家は、
隣の人の生活音が筒抜けな
アパートだったので、
ずっと我慢してましたが、
今の家は、大丈夫そうなので、
電話で話すくらいの声のトーンで
歌っています。

これ、べつに歌がうまくなりたいとか、
いつか誰かに聞かせるためにとか、
これは健康法の一つ、とかじゃなくて、
なんの目的もなく、ただただ、
そうしているのが、心地いいから。

何年か前の話なんだけど、
久しぶりにあった友人と
銭湯にいったときに、
「あれ、おまえ筋トレしてんの?」
と。

全然していないけど、なんで?
「…え、じゃなんで
腹筋われてんの?
おれ時々筋トレしているけど、
割れないんだよ」

それはビールっ腹だからでしょ。
と言いつつ、覚えのない腹筋に
あれ、なんでだろう?
と考えていたら、
…あ、歌っているからだと。

ぼくは鼻歌レベルじゃなくて、
ちょっと大きな声で人と話すくらいの
トーンで延々と歌うので、
腹筋にけっこう負荷がかかって
そこそこな有酸素運動を
しているのと同じだったらしい。

目的を持って向上させることが
「学び」であって、
目的をもたずただ楽しむことが
「遊び」であるなら、

歌うのは、ぼくにとっての遊び。

でも、それが結果として
腹筋につながったとき、
はじめて「あの遊びは学び(向上)に
つながっていたのか」
という自覚に。

その自覚こそが「遊びの中の学び」
になるんじゃないかな。
と思いました。

要するに遊びに対する肯定感です。

思い出したので、ついでに
書くけれど、
いがらしみきおのマンガ「ぼのぼの」でも
似たような話があったなあ。

シマリスくんとぼのぼのが、
「大人も遊んだりするのかなあ」と
シマリスくんのお父さんを
こっそり観察している話。

シマリスくんのお父さんは、
木の枝を地面にさして、
そこにしがみついて、
左右にびよんびよんと
いかにも面白そうな遊びを
しているんですが、
「あれは、そういう健康法なのでぃす」
とシマリスくんがいう。

次に、お父さんは
枝に紐をたらして、
自分の体に巻き付け、
バンジージャンプみたいに
ゆらゆらして遊んでいる。

「ちがいます。あれは、
そういう健康法なのでぃす」
とシマリスくん。

でもすごく楽しそうな
お父さん。

大人になると、
「目的をもたない」ということが、
難しくなってくるんじゃないかなあ。

限られた一日の時間の中で、
どうすごそうかと考えると、
目的もなくなにかを楽しむ
ということが、ちょっとした罪悪感に
すらなるかもしれない。

けれど、
「ただ楽しいだけ」のことにも、
どこかに「学び」や「向上」が
隠されている。

それを実感することが重要な点。

そう信じれるからこそ、
純粋に楽しいから、ということへ
飛びこむこともできるんじゃないかな。

無条件に楽しいと思うことをする。
これ、必要です。

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