知られると困ることの価値
facebookやtwitterはとっても
普及していると思う。
大概の人にfacebookやっている?
と聞くとほぼ100%がやっていると
答えてくれて、友達になってくれる。
そして、そこには書きたいこと、
人に言っておきたいこと、
報せたいことを書く。当然だけど。
そういう内容でいっぱいである。
個人個人のニュースまとめサイトみたいな
ものだったりして便利でおもしろい。
けれども、一方では「誰かに見せたい自分」
「伝えておきたい自分」という種類の
情報は、飽和状態にあるという気もする。
それに、それが世界のすべてである、という
錯覚にもとらわれてくる。
*
逆にSNSには、書きたくない。
見せられない、教えるに値しない。
そんな恥ずかしい、あるいは無意識の
どーでもいい部分というものも、
少なからず実はあるものである。
そういう、あるんだけど、
ないことにしている自分。
という側面が、今、価値ある情報に
なるのではないかと思っている。
私小説の現代版みたいなものが。
あえて、恥ずかしいことを書く、
あえて、自分のだめな部分を書く、
ということを、
できるだけ「…そんな自分ってかわいい」
みたいなニュアンスを入れず、
まじでそうなんだ、というほぼ告白
レベルのつもりで書くのは、
なかなかできない。
はっきり言って、一日の50〜80%くらいは
無意識である。
ぼんやりして、どうでもいいことや、
危ないことを考えている。
そういうことが
ぼくのなかでよくある。
次回はそれを書こう。
はずかしいこと、
人に知られると困ることこそ、
価値があるような気がする
さあ、勇気をだすんだ。
2015/04/19